spoon me‼︎

ゾロナミ

 ナミの心を大きく揺さぶることとなったゴシップ騒ぎから数日、今日はゾロの誕生日。船員たちは朝から宴の準備に勤しんでいる。本日の主役は準備の邪魔だと展望室へと追いやられ、トレーニングに汗を流していた。上げ下げしていた巨大な鉄団子を床に置き、少し休憩するか、と差し入れのバスケットをのぞくと、いつもの飲み物とタオルの他にみかんが一つ入っている。珍しいこともあるものだ、とみかんの色の髪をした航海士を思い浮かべる。と同時に、ゾロはふと先日の出来事を思い出す。昼寝から無理やり起こされ全員とハグをするというイベントが開催された。あれはゴシップ誌が発端だったらしい。自分の写真がデカデカと掲載されていたが、結局あの記事が何に関するものだったのかよく覚えていない。一つだけ覚えているのは、ナミが絡んだ内容だったということだ。
 そういえば、あの騒ぎの後からナミの様子がやけによそよそしくなった。食事の時に隣に座っても雑談もなければ、次の時にはナミは明らかにゾロと離れた席を選んで座っていた。用があって話しかけてもろくに顔も見ずに一言二言交わしてどこかへ行ってしまう。何かやらかしただろうか、とあのときのことを思い返すが思い当たる失態はない。強いていえば、ハグイベントでハグをしなかったのはナミだけだった、かもしれない。
「んなことで怒るか……?」
 声に出してみたところでどこからも答えは返ってこない。しかし、差し入れにみかんをくれる程度には許してくれているということだろう。もしかしたらこれが誕生日プレゼントという位置付けなのかもしれなかったが。
 ゾロは柔らかな部分に親指を挿し入れて、緑と橙の混色のみかんの皮を丁寧に剥いた。一房口に放り込めば、弾けて香る爽やかな果汁が口いっぱいに広がる。まだ若く見えたがちゃんと甘くなっている。さすがナミだ。いつもはほとんど丸ごと食べてしまってナミに怒られるみかんを、一房一房しっかりと味わって飲み下す。軽やかな甘みとみずみずしい果汁が渇きを潤し、満たしていく。
「おーいゾロー! 始めるぞー!」
 下からゾロを呼ぶ声がする。宴の準備が整ったらしい。手に残った最後の一房を口の中にぽいっと放り込み、ゾロは軽やかに展望室から降りていった。

 昼の真っ只中から始まった誕生日の宴は、日が沈み空が濃紺に染まってもなお騒がしく続いている。その場にいる誰もが笑顔で、事あるごとに主役であるゾロに「おめでとう!」と声をかけ、料理も酒も湧き出すように次々と運ばれてくる。いい日だ、とゾロは思った。グイッとジョッキの底を天に向け、わずかに残った酒で唇を湿らせる。干したジョッキを片手に酒をもらおうと立ち上がると、大きな酒瓶をゾロの手元へ豪快に傾けながら声をかけたのはナミだった。
「ゾロ! おめでとう! まだ飲み足りないでしょう?」
「おう、ありがとう」
 満たされていくジョッキを眺め頬が緩む。何より良かったと思うのは、ナミの態度が普段通りのものに戻っていたことだ。初めの乾杯の時はまだぎこちないように感じたが、あれから数時間経って酒が入ったことで気分が高揚したからかもしれない。いつも通りの気楽さで乾杯を求めてくるナミに安堵して、その手に握られたジョッキに自分のをカシャリとぶつける。縁までたっぷりと注がれた酒はその衝撃で跳ね上がり、二人の手元と服を濡らした。
「きゃー! あっはっは! 濡れたぁ〜」
「うぉっ! 入れすぎだろお前!」
「だって〜! たくさん飲みたいじゃない」
 笑いながらそう言って、ナミはどこからかタオルを持ち出して濡れてしまった服をさっさと拭いている。
「ほら、拭いてあげる」
 ナミは柔らかな笑みを浮かべながら、軽く両腕を広げておいでとゾロを誘う。素直にそれに従ってナミの前に立つと、酒に濡れたゾロの胸元や羽織りの襟元をゴシゴシと拭いていく。タオル越しの手の温かさや見た目よりも繊細な動きを、ゾロは少しばかり戸惑いながらその肌で感じていた。
「あ〜こんなとこまで飛んじゃって……」
 ゾロの首筋に伝う水滴に気付いたナミは、ふふっ、と機嫌良く笑いながらそのあたりに手を伸ばす。見上げる角度で近づいたナミの長い髪が揺れて、ふわりとみかんの甘さが香る。
「あ、」
「ん〜、なに?」
 互いに視線を合わせると、すぐ目の前にその顔が迫る。近い。反射的に顔を背けて「ごめん」と呟いたのはナミだった。
「な、なに? なんか言いかけたよね」
「あー……あぁ、昼間のみかん」
「あっ、あれ? 誕生日だしね、特別よ」
「おう。美味かった。ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
 間近に咲いたナミの照れたような笑顔が新鮮に感じられて、トクン、と心臓が鳴った。月と宴の灯りに照らされて、ナミの輪郭が浮かび上がる。白く柔らかそうな肌とわずかに色付いた頬。
「えっ」
 小さく上がる女の声にハッとする。ゾロの手は知らずナミの頬に伸びていた。
「あ、わり」
 慌てて手を引っ込める。指先に残るふわふわと心地好いナミの肌の感触。しまった、とゾロは思った。俺は今、何をしようとした?
「どしたの、急に」
「いや、すまんその……つい」
「ふっ、ふふ。ついって何」
 予想に反して余裕のない反応を見せるゾロの姿が可笑しくて、ナミはクスクスと笑い声をもらした。衝動的に伸ばした手を咎める気はないらしいとゾロは内心ホッとした。普段であればいくらか金を請求されたかもしれない。いや、金で済むならまだ良い。最悪はまたよそよそしい態度に逆戻りすることだ。いつものナミで、いつもの距離感でいてほしい。それがゾロの望みだった。
「あ〜あ。変な感じ。あんたとだとどうしても意識しちゃうわ」
 困ったような笑顔のままジョッキを手に取って、ナミは宴の輪から離れて行く。声をかけることもできずただその後ろ姿を眺めているゾロに、近くで様子を伺っていたロビンとフランキー、ブルックが話しかける。
「アウ! おめぇ、追いかけなくて良いのかァ?」
「あぁ?」
「せっかく誕生日なんだ。今日くれぇ本当に一緒にいたいヤツと一緒にいりゃいいだろう。ここ逃しちまったらおめぇら、いつまでも今のまんまだぞ?」
「お二人が言葉を交わさずとも心を通わせておられるのはよ〜く分かってます。でもねゾロさん。時には言葉にしないと伝わらないことも、あるもんですよ」
「そうね。ナミちゃんあれでなかなか素直になれないところがあるから、あなたから動かないといけないタイミングって、あるんじゃないかしら?」
「なんのことだよ」
「おめぇらはお互いに無自覚なのがまたスーパーにタチ悪ぃよなァ。まァなんだ。早く追っかけてキスの一つや二つかまして来いってことよ」
「ふふふ、そういうことよ」
「ヨホ」
 ニコニコとニヤニヤの混ざった表情を浮かべる世話好き三人に背中を押され、ゾロは困惑しながらもナミの後を追いかけた。フランキーはキスの一つや二つなどと言っていたが、いや、そんなことをしたら今度こそナミを怒らせるのではないか。そもそも自分はナミとそうなりたいのだろうか。ナミと、男女の仲に?
 彼らの言葉を反芻しながら考えるうちにナミの後ろ姿が視界に入り込んできた。風に乗って届いたみかんの香りに、また胸が鳴る。さっきからこのざわつきは一体何なのか。
「ナミ」
 んー? と振り向いたナミの目が驚いたように見開かれる。
「あれ、ゾロ? あっちにいなくていいの?」
「あぁ。もう少しお前と飲みたい」
 ぱち、ぱち、と大きく二度ほど瞬きをしてから、ナミは頬を緩めた。
「主役の望みは叶えなくちゃね。付き合うわよ」
 隣に並び立ったタイミングでナミはジョッキを軽く掲げた。そこにコツンとジョッキを当てて、静かに乾杯をする。
「美味いな」
「でしょ? 誕生日だからちょっと良いの、奮発したの」
 あぁ、さっきの大きな酒瓶はプレゼントだったか、と思い至る。
「なんだよ俺の酒じゃねぇか」
「良いじゃない。一緒に飲んだ方が美味しいでしょ」
 確かに。それはこの数日間、一人で晩酌することを強いられていた自分が一番よく知っている。傍に誰か、同じペースで同じ酒を気兼ねなく飲める、そういう相手がいてくれた方が酒は確実に美味いのだ。
「ねぇ。次に寄る島は秋島なの。お米が名産らしいから、あんたの好きなお米のお酒もあるはずよ」
「そりゃ楽しみだな」
「もうこの辺も秋島の気候だから、空も澄んで気持ちいいわ」
 船首の方を向いたナミにつられてゾロもそちらに身体を向ける。見上げた空は雲ひとつなく、星の光が真っ直ぐに届く秋の夜空だ。
「秋島の気候に入るとね、何となくゾロのことを考えちゃうの。海も空も穏やかで、空気はスッと透き通ってて、暑くもなく寒くもなくちょうど良い気温で。そういう心地よさがね、ゾロみたいだなって思う」
「へぇ」
「居心地がね、いいの。私が話すこと、へぇとかほぉとか、聞いてるんだか聞いてないんだかわかんないような相槌打ちながら、なんだかんだ受け止めてくれてるし。分かってて欲しいことはちゃんと分かっててくれるでしょ。長く一緒にいるから、もうなんて言うか、あんたは私の一部分みたいなとこあるのよね」
 ゆったりと歌うように話すナミの表情を盗み見る。頬も口元も緩めてはいるが、時々目元に力が入る。二人きりで話すとき、ナミはもっと気の抜けた話し方をするはずだった。
「居心地がいいって言う割には、今夜は緊張してんだな」
「えっ」
「お前が歌ってるみてぇな話し方すんのは気ぃ張ってる時だろ?」
 まんまるに見開かれた深い色の瞳が、ゾロの寂しげな表情をとらえる。
「誕生日だからって俺に気ぃ遣う必要なんかねぇだろ」
「違う!」
 大きくなった声に今度はゾロが驚く番だった。
「あ、ごめん。いや、違うの。別に気を遣ってるとか、そういうことじゃないのよ。今言ったことは本当に、思ってることなの。でもなんかやっぱり、あのハグの件から意識しちゃって……」
 しゅん、と音が聞こえてきそうなほど気落ちした様子のナミに戸惑う。ハグの件、とは数日前のあのことだろうか。
「あんたもあの記事読んだでしょ? まぁ内容ちゃんと覚えてるかどうか知らないけど。あんなふうに書かれちゃって、ロビンにもなんでゾロにはハグしないのかって聞かれて、なんでだろって考えてたら変に意識するようになっちゃって。それまでどんな顔して話してたかとかもう分かんなくなっちゃって……」
 今にも泣き出しそうな表情でナミは想いを吐き出し続ける。
「あんたと話したりしてたらあいつらに揶揄われるんじゃないかとか、そもそも普通の仲間の距離感ってどんな感じだっけとか、考えてたら頭ぐちゃぐちゃになっちゃうのよ」
 ジョッキを握りしめるナミの手にギュッと力が入る。
「でも今日はあんたの誕生日だし、ちゃんとおめでとうも言いたかったから、最初の乾杯してから急ピッチでお酒空けたの。少し酔ったら普通に話せるかと思って」
「あぁ」
「なのに。あんたのところ行ったらお酒注ぎすぎてこぼしちゃうし、ちょっと拭いてたら目の前にあんたの顔が現れるし、あんたは私のほっぺ撫でたりするし!」
「それはだから悪かったって」
「もうあの日からずっと空回りしてるのよ。私とゾロの距離感って、どれが正解なのかもうよく分からなくなっちゃった。『夜の船内で熱い抱擁』ってなによ、そんなのしたことないってのよ……」
 溢れそうになる涙を落とさぬように、ナミは満天の夜空を見上げ、大きく息を吐き出した。
「ゾロは大事な仲間なのに。おもしろおかしく噂立てられて、そうじゃないのにそういう目で見られるのが、嫌なの」
 消え入りそうな声でそこまで言うと、ナミは唇を噛んで目を閉じた。あの雑誌の記事の内容など正直よく覚えていなかったが、どうやらナミと自分が男女の仲にあるような書かれ方をしていたのだろうと、ゾロはようやく理解した。
「なぁナミ。お前はあの雑誌に書かれていたことが嘘だからそんなに悩んでんのか?」
「嘘……だからっていうか、仲間のあんたと、そういう仲だって誤解されるのが不本意なだけよ」
「なら、誤解じゃなきゃ良いんだな?」
「へっ?」
 ナミが目を開けた瞬間、後ろから逞しい腕が伸びてきてその身体はすっぽりと包まれた。背中がぽかぽかと温かい。首筋にゾロの顔が寄せられて、息遣いすら感じられる。
「ちょっ、ちょっとゾロ?」
「仲間だけど、俺は男で、お前は女だろ? “そういう仲”になったって別におかしくはねぇよな?」
「なに、言ってんの? 酔ってる?」
「さぁどうだろうな。お前にもらった酒があんまり美味かったんで、ちょっと飲みすぎたかもしんねぇ」
「やっぱり。酔ってふざけるのもいい加減に」
「ふざけてねぇよ。お前とこうしてぇと思ったからしてるんだ。ナミ」
 華奢な身体を包む腕に、きゅっと力が入る。
「なぁ。俺だってシラフで仲間に手ぇ出せるほど肝座っちゃいねぇんだよ。誕生日だからってみんなに浴びるほど飲ませてもらって酔ったふりして、やっと腕ん中に欲しい女閉じ込めてんだ。お前ならその意味、分かるだろ?」
 ナミの耳元に唇を寄せて、囁くように伝えた。
 惚れていると、口にしてしまえば関係は崩れてしまう。互いが互いにそう思い続けて、押し込めてきた気持ちだった。本当は最初から互いに惹かれ、好いてきた。ゾロを誰より想ってきたのはナミだったし、ナミを誰より大事にしてきたのはゾロだった。仲間としても、異性としても。
「あんなくだらねぇ雑誌の文言に踊らされんのは癪だけどよ、そう思われてんなら好都合じゃねえか。もうそういうことで、いいじゃねえか」
「……いいの、かな」
 身体を包むゾロの腕に、ナミが柔らかな手を添える。
 触れてしまったらこれまで積み重ねてきたものが全て、音を立てて崩れてしまうような気がしていた。出来上がった環を歪めてしまうように思えて、どうしても踏み込むことができなかった。けれど今、触れ合う肌も重なる影もこの場に受け入れられている。なにも変わらず二人としてここにいることができている。
「ダメならとっくに止められてる。誰にも邪魔されてねぇってことは、いいってことなんじゃねえか」
「あんたがそう言うなら、きっとそうね」
 ナミの表情がふわりとほどける。強張っていた肩から力が抜けた瞬間、ゾロは思い切りナミを抱きしめた。頰と頬がわずかに触れる。角度を変えれば唇が触れてしまう距離。
「ねぇゾロ、近いよ」
「ん、ダメか?」
 ゾロはすぐそばにあるナミの顔を覗き込む。
「なんかそれズルくない?」
「なにが」
「わざとでしょ? そんな誘い方……」
 ナミの言葉はゾロの唇によって遮られた。触れた唇は想像通り少しカサついていて、想像よりもずっと、あたたかくて気持ち良かった。
「俺は海賊なんでね。欲しいもんは奪うことにしてる」
 ニヤリと笑う顔はもういつものゾロだ。戸惑う気持ちも進む不安も、取るに足らないことなのだと言われているような気がした。
「奪われたままなのは気に入らないわねぇ」
 ニッと口角を上げたナミは、わずかに緩んだゾロの腕の中でくるりと身体を反転し、向き合う形でゾロを見上げる。
「私にもちょうだい」
 言いながらゾロの首に両腕を回して抱きつくと、ナミは小さく踵を上げてゾロの唇にキスをした。互いにむき出しの肌が触れるのも、頬の匂いを感じるのも、はじめてのはずなのにしっくりと馴染む。ドク、ドク、と早くなる心臓の音だけが耳の中に響いていた。
「……とんでもねぇ泥棒だな」
「それはどうも」
 鼻先が触れる距離で二人はクスクスと笑い合う。その顔は今日一番のほころびだった。
「ゾーローー! ナーミーーー!」
 名を呼ばれて振り向いた先、宴の輪があったはずの場所ではすでに船員たちによって撤収作業が始められている。二人の名を呼んだ声の主は大きな肉の塊を振り上げてにっこりと大きな笑顔を向けた。
「おめでとうなーーー!!」
 二人の邪魔をしないようこそこそと片付けていたであろう船員たちは、大声を上げた船長を咎めながらも、口々に「おめでとう」と祝福の言葉をゾロに、ナミに、向けている。ゾロはその輪に向けておう、と軽く手を挙げて返事をした。
「おめでとうだと」
「あんたにじゃないの?」
「お前も呼ばれてたぞ」
「えっ、そういうこと? わっ、どこから見られてたんだろ恥ずかしい」
「気にすんな。いずれバレんだ」
 頬に手を当てて照れるナミの頭をぽんぽんと軽く撫でると、その手を優しく髪に滑らせてゾロはもう一度ナミの唇にキスをした。

 この時のキスの写真が例のゴシップ誌に掲載され、二人の本当の仲が世界中に知れ渡ったのは、また別の話。

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