spoon me‼︎

ゾロナミ

 秋は、ゾロの季節だ。
 生まれた季節であるから。それもある。穏やかな夜の長さ、澄んだ空気、色を変える樹々、食の豊かさ、静かに躍り出す感性、そうした全てがどことなくゾロを思わせる。纏う雰囲気を構成する粒子が秋のそれであるのだとナミは感じていた。
 それをロビンに話したとき、「あなたらしい感じ方ね」と感心めいた感想をもらった。一味の共通認識かと思っていたナミは、その反応に意外な気持ちと照れくささを感じた。別にゾロへの好意を打ち明けたという訳でもないのにそんなふうに感じるなんておかしな話だ。けれどナミがゾロのあの雰囲気を好ましく感じているのは確かで、おそらくロビンはそこも含めて「あなたらしい感じ方」と評したから、内に秘めたものを晒してしまったような気持ちになったのだ。
 この好ましさについて、ナミは男女間に生まれるようないわゆる恋愛感情的な好意だとは思っていない。あくまで人として、の域を越えないものであって、それはこの船に乗るもの皆に等しく抱く感情だった。
 ところがある日の昼下がり。ナミの心に立ったさざなみは高くうねる巨大な波に変わることになる。

「おーいナミー! お前のこと記事になってるぞー!」
 甲板にいたウソップが今しがたカモメから受け取ったゴシップ誌を大きく掲げ、みかんの手入れをしていたナミに声をかける。その声にどこからともなく船員たちが集まって、甲板に全員集合することとなった。
「なぁにウソップ、大げさね。どうせまた私が美人すぎるって話でしょう?」
「とんでもねぇ自信だな。そういう形容はされてっけどよ。まぁ読んでみろって」
「おい。ナミの記事っつうか、俺らみんな載ってんじゃんよ」
「おぉ! 俺も載ってるぞ!」
 受け取る直前で伸びてきたゴムの手に取り上げられたゴシップ誌は、ルフィとその周りに集まった男連中に回されている。
「みんな載ってる? どういうこと?」
「あらあら、ナミちゃんそうだったの?」
 隣にいるロビンはいつの間にか咲かせた目で一足先に記事の内容を確認して、意味深な笑みを浮かべている。
「へぇ、こりゃまたスーパーな話だなァ」
「私、こちらの船に乗せていただく時から実はそうじゃないかと思ってました。二年越しの真実です! ヨホホ〜」
 船長の手から大人組の手に渡る雑誌。ジンベエなどほう、と大きく頷いて妙に合点のいった表情を浮かべている。
「おい俺にもナミさんのお姿を……なんなんだこの捏造記事は!」
 騒ぎ出したのはサンジだった。骨の指先から奪い取るようにして目の前に掲げた誌面を睨みつけ、それを持つ両手はわなわなと震えている。
「捏造? そんなに悪いこと書いてあるの?」
 サンジの反応にナミは何が書かれているのか不安になった。どんな悪評が書かれていたとしても海賊だから仕方ない。ある程度の覚悟は出来ている。しかしサンジのあの反応は異常だ。ナミは小走りでサンジの側に寄り、恐る恐る誌面を覗き込んだ。

『麦わらの一味 泥棒猫ナミ 熱愛発覚!!』

 熱愛? はて、私は一体いつ誰と熱のこもった愛を育んだのだろう。
 身に覚えがないどころか全く見当もつかない話だった。記事にはいくつかの写真が並べて掲載されている。いずれもナミが一味の誰かに抱きついている構図のものだった。この写真がいつどうやって撮られたのか、という疑問も浮かんだが、それ以上にこの複数枚の写真から『熱愛』という発想に至ったのはどういうことなのだろう、とナミは不思議に思った。
 各々の写真の下には、ナミが抱きついている相手が誰で、その人物との親密度や関係性を推測する内容が書き立てられている。妄想にしてはなかなか面白い話だ、と思いながら全ての写真に目を通すも、どの人物が熱愛相手か、という核心についてはどこにも書き綴られていない。
 ぺらりとページをめくるとようやく一人の男の写真が現れた。その男の隣には大きく強調された文字でこう書かれていた。

『お相手は 海賊狩り ロロノア・ゾロ!!』

「はぁ? ゾロ?」
 意味が分からなかった。もう一度前のページに目を通す。ナミがゾロに抱きつく写真は見当たらない。なのにどうして相手がゾロということになっているのか。
 筋書きはこうだ。

 麦わらの一味の航海士、『泥棒猫』ナミはところ構わず誰にでもスキンシップをはかるオープンな性格で、人目も憚らず同性異性に関わらずクルーに抱きつくこともしばしば。しかしいずれも友愛の証明に過ぎず、だからこそこれほどの証拠写真がいくつも撮られている。
 しかし一味の中で一人だけ、その友愛のハグが交わされていない人物がいる。それが『海賊狩り』ロロノア・ゾロだ。これは人前でその関係を明らかにしないための苦肉の策だと小誌は推測する。逆を言えば、ナミとロロノア・ゾロは男女の間柄にあることは間違いない。夜の船内では人目を忍んで熱い抱擁が交わされていることだろう。 

「ちょっと、何なのよこの記事!」
 一通り記事に目を通して声を上げるナミをよそに、ほとんどの船員たちはその内容を面白がっている。まさかそんなことはないだろう、いやしかしそれならそれで、と口々に感想を漏らしながら記事について話している。そしてもう一人の渦中の人物であるゾロはといえば、少し離れた場所で深い眠りの中にいてこの輪の中にすら入っていない。
「んナミすわん……熱い抱擁交わしてるの? 俺との抱擁は? 迎えにきてくれた時のプロポーズは?」
 足元に崩れ落ちているサンジが滝の涙を流しながらナミを見上げる。その悲しみに暮れた顔を見て、ナミの戸惑いは軽い苛立ちに変化した。
「熱い抱擁は交わしてないし、プロポーズもしてないわよ! 全く。みんな好き勝手楽しんじゃって」
「あら、嬉しいことよ。あなたたちだってそんなお年頃なんだし、そういうことがあったっていいじゃない」
「だから違うってば!」
 話がいろんな方向にどんどん飛躍していく。ナミは頭を抱えた。どこで誰とどんな噂を流されたって、それが真実でないならば構うことなく受け流してきた。しかし今回の相手はゾロだ。同じ船に乗り旅をしてきた大事な仲間と、そんな見方をされるのは不本意だったし、何よりゾロにも迷惑がかかる。船での実情を知っているはずの仲間たちでさえこの反応なら、世の中の見方はきっとそちらに傾くに違いなかった。
「なんでまたこんな厄介なことに……」
「ナミぃ、そんなに嫌なのかー?」
「嫌に決まってるでしょ! こんなデタラメ書かれて全世界に発信されるなんて!」
「なら、ゾロとも撮ってもらえばいいわ」
 ね? と軽やかにナミの肩を叩き、ロビンは寝ているゾロの方に足を進めた。
「ゾロ、起きて。ハグの時間よ」
「ん、あぁ? 朝か?」
「えぇ。朝のハグ、しましょ」
 ロビンの腕は一瞬ゾロ身体をふわりと包み、すぐにスッと離れた。寝ぼけたゾロはまだ事態を飲み込めていない。
「はい。次は誰かしら?」
 離れたところで様子を見ている仲間を振り返り、ロビンが声をかける。他にもハグをするらしいと理解したゾロは怪訝な表情を浮かべる。
「なんだ? なんか企んでんのか?」
「企んでなんかいないわ。今日からこの船では起きたらみんなでハグすることに決まったのよ。ねぇ、ルフィ?」
「あ? そうだっけ?」
「(話合わせろよ!)」
「お、おぉおう、そうだな。起きたらハグだ! ゾーローーーおはよーーー!」
 びゅーんと伸びたゴムの腕がゾロの身体にぐるぐると巻きついて、座ったままの姿勢でルフィの身体に引き寄せられる。
「おふっ! 痛ってぇよ」
「ししし、ごめんごめん!」
 笑いながらぎゅっときつくなるルフィの腕に、ゾロはまんざらでもないような照れたような表情を浮かべた。
「分かったよ、離せルフィ」
 ぐるぐるに巻かれたゴムの腕が離れるとゾロの目元がふっと緩んで、大きく腕を広げると今度はルフィがその腕の中に飛び込んだ。兄と弟のようなやり取りに見守る船員たちの表情も和らぐ。
「ゾロ〜! 次は俺だ!」
 子どもサイズのチョッパーが可愛らしく駆け寄り、その小さな身体をゾロの腕がひょいと持ち上げる。
「父と子だな……」
「ねぇウソップ、これ本当にみんなやるの?」
「あーやるんじゃねぇの? てかお前のために始めたことだろこれ! お前はやれよ?」
「え〜……」
 ハグの順番は大人組に回っている。身体の大きなフランキーやジンベエとはハグというよりも相撲の様相を呈している。ブルックなどは、ゾロが軽くでも力を入れたら折れてしまうリスクがあると、及び腰で腕を伸ばしながらどうにかこうにかハグを交わしている。
「サンジくんとはちょっと見ものよね」
「へっ。アイツらちゃんとハグすんのかぁ?」
 順番が回ってきたサンジは直立不動でゾロを睨みつけている。挑むような視線を受け取るように睨み返したゾロの口元がニヤリと歪み、挑発するように大きくゆったりと両腕を広げる。
「……来いよ」
「あぁ? テメェが来いよ、クソマリモ」
 サンジも負けじと両腕を広げ、互いに一歩二歩と足を進める。やがて近づいた二人の腕は互いの背に回され、しかしどう見ても「抱擁」とは形容し難い体勢でぎゅうぎゅうと互いの胸板を押し付けあっている。
「あれなに?」
「なんだろなー。胸相撲?」
 周囲の視線などお構いなしに熱を上げる二人の身体を張った抱擁もどきは、結局いつものように額をグリグリと押し付け合う形に落ち着いて、ルフィたちのヤジを受けながら睨み合う構図に変化していた。
「なんかあれね。これがゾロサンよね」
「ゾロサン、ってなんだ?」
「次のビジネスの話よ。この流れ邪魔しちゃ悪いわよね?」
「おーい、そうやって逃げようったってそうはいかねぇぞ。俺が割って入ってやっから、お前は最後な!」
「あっ! 待ってよ、じゃあ私が先に」
 声が届く頃にはゾロとサンジの間にウソップが挟まっていた。二人の間に割って入ることには成功したらしい。
「痛っ! いって、いてぇってばおい!!」
 そりゃそうだ、とナミは呆れ顔で盟友の犠牲を見守った。何をバカなことをやっているんだろう、と二人の間で揉みくちゃになるウソップを眺めてぼんやりと思う。しかしこういうバカなことを全力で楽しめるのがこの一味の好きなところだとも思うのである。ずっとこのバカみたいに楽しい時間が続いたらいいのに、と思いながら彼らの様子を見つめていると、ウソップの声がナミの名を呼び、皆の視線がナミに集まる。
「へっ?」
「お前の番だっつってんの!」
 ほらゾロも、などと言われながら周りの大男たちに背を押されて、ゾロがナミの目の前に立つ。
「ほれ」
 何でもないことのように、表情も変えずゾロが両腕を広げる。勢いそこへ突っ込んでしまえば、それで全てが終わるのだ。
『でもゾロよ?』
 ナミの頭の中で声が響く。なにが『でも』なのか自分でもよく分からなかったが、頭の中のその一言はゾロとハグをするという行為を意識させるには十分過ぎて。出しかけた右足が半歩のところで止まってしまう。
「あれー? ナミお前、赤くなってねぇか?」
「なんだなんだァ、やっぱあの記事は真実かァ?」
 船員たちの囃し立てる声に、ナミはカッと頭に血が上るのを感じた。頬も耳も、みるみる紅く染まっていく。
「おい、記事ってなんだよ」
 広げていた両腕を下ろし、ゾロは声の方へと近寄る。ゾロに例の雑誌が手渡され、この記事だ、と男連中が指し示す。
「もう……最悪」
 赤くなったナミの顔は怒りとも羞恥ともつかない感情に歪んでいた。
「……そんでナミの相手が、お前なんだと」
「あぁ? ……おいなんだこの写真、いつのだよ。サングラスにヒゲ面って。もっとマシな写真なかったのかぁ?」
「あーあれだろ? ドレスローザで変装した時の!」
「おぉあん時のか!」
「おぉいこの写真! ゾロ若過ぎねぇ? いつのだよ〜」
 ゲラゲラと大笑いしながら雑誌を眺める男たちの興味は記事の内容から掲載されたゾロの写真へと移り変わり、ナミとハグをするというイベントは自然と立ち消えていた。
「なんか……どっと疲れたわ」
「ごめんねナミ。良い案だと思ったのだけれど」
「あっううん、ロビンのせいじゃないわよ。ただなんだか、変に意識しちゃったの。サッとハグしちゃえば済む話なのにね」
 苦笑しながら軽くこぼしたナミの言葉に、ロビンの目が妖しく光る。
「ねぇナミちゃん。記事を読んで私も気になったのだけど、どうしてゾロとはハグしないの?」
「えっ? どうして、かしら。そういう機会がなかったから……かなぁ」
「でもだったら、さっきはちょうどそういう機会だったんじゃない?」
「まぁ……そうね。いや、でもあんなみんなが注目してるところじゃ恥ずかしいわよ」
「なら、誰も注目してない時なら大丈夫なのかしら?」
 ナミは想像してみた。誰も注目していないタイミングでゾロに抱きつく。例えば、二人で晩酌をしている時? なんと言って抱きつく? 拒否されるのでは? もし受け入れられたら? 
 考えれば考えるほどそれは非現実的なことのように思えてくる。だって相手はゾロだ。旅の仲間としては最も長く共にいて、常に同じ方向を見て船長を傍で支え導いてきた。その存在は、自分と対であるとナミは思う。二人で多くのものを共有し分かち合ってきた。始まりからしてそうだったのだ。今さらそんな行動を挟まずとも、もう何だって伝わってしまう。できない、というよりも必要がない、が正解だった。もしナミとゾロが抱き合うことがあるとしたらそれは、それこそ男女としてのそれになってしまう。男女の、触れ合いに。
「ナミちゃん、大丈夫? そんなに難しい質問だったかしら?」
 声を掛けられハッとする。ロビンの美しく整った眉がハの字に傾いている。ナミは自分がよほど険しい顔をしていたらしいと察した。とんでもない難問だ、とは言葉にせずに心の中で呟いて、この話題を終えることにした。
「ない。ないわね、ゾロとハグはない」
 首を横に振りながらないない、と言い聞かせるように口に出しながらナミはその場を立ち去った。
「あらあら。難しいお年頃かしら」
 船内に向かうナミの後ろ姿を、ロビンはどこか楽しむように微笑みながら見送った。雑誌を囲んでいた男たちの興味はもうすっかり別なところへ移ったらしく、甲板に放り出されたゴシップ誌はぽつんと取り残されていた。

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