5年目のメリークリスマス

ゾロナミ

 約束した時間を2時間はゆうに過ぎていた。クリスマスイブの21時半、定時でダッシュして用意した料理はすっかり温度を失い、冷蔵庫の中にたんまりと詰め込んだ酒類は氷のように冷えている。どこか店を予約したりしなくて良かったな、と、惨めな自分を慰めてみる。
 普段こうしたイベントごとに前のめりなのは私の方で、クリスマスだとて向こうにとっては忙しい月末に違いなく。一緒に過ごすクリスマスもこれで五回目。ゾロにしてみればいつもの週末に毛が生えたくらいの価値しかないのかもしれない。
 居心地は良い。気を遣って疲れることも探り合って疲弊することもない。『安定』という言葉に置き換えれば聞こえは良いのかもしれない。
 しかし、5年だ。次の段階に進むにも後戻りするにも、遅すぎる感がある。このまま二人で過ごしていくのだろうか。結婚だけが形ではない。子を望まないのならばその方が気楽という友人もいる。真理だと思う。現に今がとても楽なのは事実だった。
 けれどこの先、いつでも離れることができる状態のまま関係を維持していくことが、私たちに出来るのだろうか。ゾロは決してまめではないし、気持ちを言葉にする方でもない。私にしたって、想いを素直に伝えられるほど可愛げのある女ではない。だからこそ、今日のようなイベントごとではほんの少し素直になって、いつもは伝えられない気持ちのかけらくらいは届けられたら、と思っている。思っていた、今日まで。
 相手に受け取る用意がないなら、その気持ちはどう処分したらいい?
 正しい解が分からないまま悶々と過ごす一人の時間。それに終止符を打ったのは、しんと静まった部屋に響いたインターホンのチャイムだった。モニターに映る見慣れた緑頭のつむじ。
「はい」
「すまん、本当にごめん」
「……入ったら。寒いでしょ、風邪引くわよ」
 思っていたよりずっと冷たい声が出てきて自分のことながら驚いた。オートロックの解錠ボタンを押して小さくため息をつく。無事に来てくれたことを素直に喜んで、可愛く拗ねてみせることができたらどんなに良かっただろう。こういう時の私にいつも、私自身が一番、落胆している。
 ピンポーン、ともう一度、インターホンのチャイムが鳴る。合鍵を受け取らなかったのは、私がいないこの家には用がないからと言っていたけれど、いずれ別れが来ることが分かっていたからかもしれないな、と頭をよぎる考えに悲しみが深くなる。ふぅ、とひとつ深呼吸をして玄関の扉を開ける。目の前に現れたゾロは、額に汗を浮かべている。その表情からは、疲労と焦りと少しの苛立ちが見て取れた。「おかえり」も「いらっしゃい」も不自然な気がして、無言のままゾロを迎え入れた。
 冷え切った料理を挟んで話すのは悲しくて、ソファに座り隣へ促す。それでもゾロは自らソファとローテーブルの間の床を選んで、狭い隙間に腰を下ろした。
「待たせてごめん」
 大きな体躯を折り曲げて、隙間に収まり詫びる姿に、文句を言おうという気は起きない。しかしこれですぐに許せるほど、私の懐は深くない。
「いろいろ、考えてた。約束はしてたけど、楽しみにしてたのはやっぱり、私だけだったんだなって。こういうイベントの意味合いっていうか、価値、みたいなのが、私とゾロとじゃきっと少し違うんだろうなって思う。最初からそうだったと言えばそうよ、世間一般のイベントごとにはあんた興味ないもの。でも、私にとってはそういう機会が必要だったの。いつもと違う気持ちで過ごせる、特別な時間が」
 うん、と頷くゾロはまだ口を挟まずに聞いてくれる。
「ないがしろにされてるとは思わない。今だってこうして会いに来てくれて、話聞いてくれるでしょ。まだ気持ちはあると思ってる。それを嬉しいと、私も思ってる。思って、いるけどね」
 核心に触れようとすると、いろんな思いが胸に込み上げて、息が詰まりそうになる。深呼吸をする私を、気遣わしげに見つめながら待ってくれている。早く、解放しなくては。
「この先を考えてしまうの。だんだん、私はあんたの風景になっていっちゃうのかなって、ただそこに存在するだけの人になっていって、隣を歩く特別ではなくなってしまうのかなって、そう思ったら、……しんどくて」
「そう思わせたのは、俺だな。本当、ごめん」
 俯く表情は読めない。最後になるのかもしれないと思った。
「正直、甘えてたと思う。居心地が良くて、ナミも同じだと勝手に思って、このままがずっと続いたらいいなんて考えてた。特別なはずの日も、一緒にいるなら日常と変わらないとか、意味合いをすり替えて自分が楽な方に考えた。本当に勝手だった」
 隣、いいか? と断りを入れてゾロがソファに腰掛ける。隣がふわりとあたたかくなる。
「夕方、お前から連絡もらうまで、今日がクリスマスだってこと忘れてた。仕事がどうとか言い訳にもならねぇこと言うつもりはない。単純に俺の意識が、そっちに向いていなかった。すまん」
 距離が近くて、表情を盗み見ることもできない。分かるのは、ただその声の誠実さだけだ。
「そこから仕事終わらせる間、ラジオでクリスマスソングが流れて、あの有名なやつ、結構昔のだけど毎年流れる……歌詞がな、不思議だったんだずっと。好きなやつの欲しがった椅子を買って電車乗るって、どんな気持ちなんだろうなって」
 あぁ、あの歌か、と見当が付く。
「今日、ナミに会えると思ったら、待たせてるのに本当申し訳ないけど、すげぇ嬉しかった。会えるってだけでテンション上がって、それは付き合い始めてからずっと、全然変わらなくて。でも気付いたら俺、そういうこと一回も伝えてねぇなって、今さらだけど」
 大きな手のひらが、私の手を包み込む。
「なんか形にしたくなったんだ。椅子がいいと思った。一緒に酒飲む時に座る、ナミと一緒に過ごすための椅子。ずっとそこで、俺の隣にいてもらえるように」
 待ってろ、と言って立ち上がると、玄関に置いた荷物から綺麗にラッピングされた大きな箱を二つ持って来た。座りながら、リボンがついた方を私に差し出す。
「これ、ナミが欲しいって言ったわけでもねぇから、いらなかったらうちに置くけど」
 受け取った箱はずっしりと重たい。開けてみ、と促されて、リボンを解き包みを留めるテープを一つ一つ外していく。箱の中から出てきたのは、折り畳み式のデッキチェア。
「うちに置いてもいつか一緒に住むようになったら使うことになるから」
「一緒に、……」
「あの歌は椅子一つなんだよな多分。俺はこの椅子、例えばベランダとかに出して、二人で並んでビール飲んだり、月でも雪でもなんでもいいから同じ風景を二人で見たい。ナミが喜ぶこととか欲しがるものとか、俺、そういうのセンスねえから、今日は俺がお前としたいことに必要なもの。明日、お前の欲しいものちゃんと買いに行かせて」
 ぎゅっと抱きしめられて、ゾロの体温に包まれる。
「ずっと、俺と一緒にいて、ナミ」
 ずっと、見えなかったゾロの気持ちが、こんな形で伝えられるとは思ってもみなかった。これじゃまるで。
「プロポーズみたいね、断ったらどうするの?」
「断られても、もう1回俺に惚れさせる」
「私逃げるの上手いのよ?」
「逃さねぇ。追いかけて捕まえて、好きにさせてみせるから」
「……ふふっ、わかった。断らないし、逃げないわよ。ちゃんと首輪付けて名前書いといて」
「首輪でも指輪でも、好みのやつ付けてやる。ナミがそばにいてくれるならそれでいい」
 好きだ、ナミ、と耳に心地よくゾロの声が染み込んで、交わす口付けに鼓動が速まるクリスマスイブの夜。上がっていく体温に身を任せて、二人の時間がはじまっていく。

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