雨の止み間に

ゾロナミ

 雨が降り出した。
 灰色の空の隙間からポツリ、ポツリと落ちた滴は鼻先を濡らし、見る間に地面を黒くした。少し急ぐか、と思った矢先に袖をグイッと掴まれる。華奢な手首には見覚えがあった。
「何してんの。風邪引くわよ」
「おぉ」
 ナミだった。
 こいつにしては珍しく雨粒を防ぐものを持っておらず、二人して濡れながら早足で街を駆け抜ける。並んで走る石畳、その隙間を雨水が流れ出す。隣で何やら話す声は雨風に途切れて、いつのまにかしっとりと濡れた首筋がやけに目について、イライラした。
「おいっ」
「あっ」
 掴まれていた袖をこちら側に引いて、屋根のある路地裏に身体ごと引き込んだ。見事にびっしょりと濡れた互いを途方もなく見合う。貼りついた薄い生地に白い肌が浮き上がる。
「透けてんぞ」
「やだすけべ。見ないでよ」
 すぐ止むと思ったのに、と空を見上げる目はどこかバツが悪そうに見えた。すぐ止むと思ったのなら、止んでから動き出せばよかっただろうに。なんでこんな雨のなか、俺と一緒に濡れてんだよ。
「条件反射よねぇ、あんた見つけたら追いかけちゃうの。迷子になるって思ってさ」
「迷子になんかなんねぇよ」
「なるわよ、決まってるじゃない」
「決まってるってなんだ」
「決まってるでしょう? 後で探すの大変なのよ。見つけたら捕まえとかないと」
 ただ行く道を直感的に選んでいるだけなのに、迷子と言われるのは心外だ。まぁ確かに、こいつに手を引かれて進む道がいつだって一番早い道なのは、間違いなかったが。
 服の裾を絞っていたナミがふと、何かに気付いたようにふわりと路地の入り口に向かう。おい、と声をかけようとして上がる腕。ついさっきまでぎゅっと掴まれていた袖はまだ乾いたままで、そこだけ違う服の色が妙に目についた。
「あ、雨止みそう」
 止むのか、と思うと何故だかすごく惜しい気持ちになった。何が惜しいのか自覚もないまま俺はナミのそばに寄り、こちらを向いたナミの両耳にそっと手を当てた。
「えっ、なに?」
「止むのか?」
「えっ?」
 戸惑うナミの唇を俺ので塞いだ。なんだこれ。甘い。恐るおそる重ねた唇は瑞々しく冷えていた。間近に迫る肌の匂いも、指の先の濡れた髪も、柔らかく甘い。確かめるように触れていたのは最初のうちだけで、その甘さを感じてしまえばもう夢中になっていた。
 キスをする間に雨音は消えて静寂が包み込む。俺とナミだけが浮き上がるように、周囲の何もかもがなくなるように。真空の中で二人きりでいるような気がして、すでに遠慮はなくなっていた。貪るように吸った唇は、それでも俺を拒むことをしなかった。
 ハッとしたのは、石畳を打つ雨の音が聞こえたからだ。止んでいたのは一瞬で、再び降り出した雨はさらに勢いを増している。塞いでいたナミの耳から手を外し、名残惜しく唇を離す。俯いた女の頬は、わずかに紅く染まっていた。
「あ、雨」
「止まなかったぞ」
「……そう」
 音なんか聞こえたって聞こえなくたって、雨の気配は感じたはずだ。それでも俺の嘘を受け入れるなら、それが答えでいいよな。
「止むまで、ここにいるか」
「うん」
 雨の止み間に合わせた唇が俺たちの距離を引き寄せて、ほんの少し、この関係が動き出せばいいと思った。

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