密室

ゾロナミ

 壁に床に天井に、これはどこからどう見ても。

密室

 出入り口のない部屋にどうやって迷い込んだのか、仕組みはもうよくわからなかった。どうせわけのわからない能力者の仕業だろう。新世界とは、そういう場所だ。
 この密室空間に飛ばされたのはナミとゾロだった。気づいた時には6面真っ白に塗りつぶされたこの部屋にいて、足元に転がった小さなランプがやけに眩しく目に入った。
 状況を理解すると、ゾロは刀を振り、ナミは天気を操ってこの部屋を出ることを試みた。しかしながら部屋の壁は思ったよりも頑丈で、いくつかの刀傷を付けたびしょ濡れの壁に囲まれて、脱出は失敗に終わった。出られないのならば仕方がないと、救出を待つことにした二人は、ナミが降らせた雨を回避したわずかな面積に腰を下ろして、時が過ぎるのをただただ待っていたのだった。
「ねぇゾロ。面白い話して」
「あぁ? なんだ面白い話って」
「なんかワクワクしたりドキドキしたりするような?」
「そういうのはウソップの分野だろ」
「だって今ウソップいない」
「だからってそりゃ無茶振りだろ」
「そうよねぇ」
 あーつまんない、と隣で伸びをするナミは、ふるりと肩を震わせて剥き出しの二の腕をすりすりと手でさする。
「寒ぃのか」
「うん、冷えない? ここ」
「お前が冷やしたんだろうが」
「うっ。だってぇ」
 脱出するのに必死でめちゃくちゃに刀を振るったのはゾロも同じだったので、結果室内が水浸しになったことを責める気はなかった。けれど、水の多い空間はどうにも冷えやすく、身体を覆う布面積の小さいナミは早くも寒さに堪え始めているのだった。
「こっちくるか?」
「うんそうする」
 二つ返事でゾロの提案を飲んだナミは、胡座をかいたゾロの脚の間にちょこんと腰を下ろした。
「おい」
「なに? ちょっと腕貸してよ」
「おいおい」
 予想していた距離と違って密着する形になったことにゾロは戸惑う。ナミに取られた腕は、ナミを抱きしめるような形で固定されている。
「おい何の罰ゲームだよ」
「これが一番あったかいのよ。役得でしょ」
「役得ってなぁ……」
 自分で言ってちゃ世話がない、とゾロは反論するのをやめた。
「こんなことできるの、あんただけよ」
「あ?」
「こうしてたって、ゾロなら絶対変な気起こさないじゃない? 安心してくっつける。あとものすごくあったかい」
 すりすりと腕に首筋を擦り付けるナミからは、にゃあ、と鳴き声が聞こえそうだった。
 絶対、とはまた買い被ってくれる。
 鼻先に漂う甘いみかんの香りを吸い込まずにいられるほど無欲ではないし、腕に当たる柔らかな肉感を後で思い出して楽しむくらいには、自分は男だとゾロは思う。信用されている、と言えば聞こえはいいけれど、どこまでも男として見られていないのだと思うと、ゾロはほんの少し意地悪をしてやりたくなった。
「本当に変な気起こさねぇと思ってんの?」
「起こさないでしょ?」
「こういうことするかもしんねぇのに?」
 努めて低く、ナミの耳元でつぶやいて、身体を包む腕にわずかに力を入れてみる。おっ、と声を上げたナミは驚きはしたのだろうが、照れもせずに「なに急に」と冷静に尋ねるから、ゾロはそれ以上からかうのを止めた。
「本当お前、興味ねぇよな」
 俺に。
 全部言ってしまうと虚しくなりそうで、最後の3文字は溜め息にすり替えた。
「興味は、あるわよ?」
「男にはだろ」
「あんたによ」
「はっ?」
 予想外の言葉に戸惑いを隠せない。
「こうやってくっつきたいと思うくらいには、あんたに興味あるわよ」
 ドッ、ドッ、と急激にうるさくなる心臓。その振動までナミに伝わりそうなほど。
「でも踏み込むなら、深くなるなら、ちゃんとしたいな。こういう特殊な状況じゃなくて、いつもの私たちの延長で」
 ナミは今、どんな表情でいるのだろうか。見えない気持ちを探るのはきっとお互い様だろうけど、今の言葉を信じても良いのなら………。
「な──」
 ゾロが口を開きかけた瞬間、地鳴りと共に船長の声が聞こえて、激しい衝撃と破壊音の後、二人は密室から放り出されて仲間たちの元へと戻っていた。

 やはりと言うべきか、あの密室は敵の能力者が作り出した空間で、ナミとゾロは人質にとられていたらしかった。時間にすればわずか数時間といったところだったが、捕らわれた仲間の無事を祝って、という大義名分ができたその晩、宴は大いに盛り上がった。
 あの密室でのやり取りの後、ナミの態度はいつもと特段変わりなく、結局のところからかわれただけだったのだろうとゾロは一人落胆した。あんなことを言われたおかげで自分は嫌というほどナミを意識しているというのに、当の本人は涼しい顔でいつも通りに宴を楽しんでいた。
 酒が入って機嫌の良いナミは酒を持ってウロウロしている。二次会の相伴でも探しているのだろう。キョロキョロと周りを見回すナミを、ゾロは遠目でぼんやりと見つめた。腕の中に抱いた感触が生々しく蘇る。ふわふわと柔らかくて、ひんやりとした肌の感触。細い肩を覆ったいい匂いのする長い髪。覗き込んだら、どんな顔をしていたのだろう。
「あっ、いた! ゾロ〜」
 あぁ、あんなふうに笑っていてくれていたらいい。花が咲くような、好ましい笑顔。時々でいい。その顔を向けてくれたら。
「なにぼんやりしてんの! もうちょっと付き合ってよ」
「あぁ、酒な。呑むか」
 ゾロの隣に腰を下ろしたナミは、ゾロのグラスにとぷとぷと酒を注いで、自分のグラスと軽く合わせた。
「出て来れて良かったね」 
「おー」
「あの部屋寒かったし」
「それはお前の仕業だろ」
「あの場合不可抗力よ。でもま、そのおかげであんたにくっつけたのは、ちょっと面白かったかな〜」
「ネタかよ」
 ゾロは苦笑してグラスに口をつける。
「うま。ずいぶん良い酒開けたな」
「んー、景気付け?」
「なんだよ景気付けって」
 隣のナミをちらりと見遣る。わずかに強ばる口元。先ほどまでと明らかに違う空気に、ゾロは心臓が騒ぎ出すのを感じた。
「踏み込むなら、いつもの私たちの延長でって言ったでしょ?」
「あぁ」
「踏み出してみようかと、思いまして」
 ゾロの手に、ナミのそれが重なる。
「仲間より少し深い関係に、なりませんか?」
「……ふっ、なんで敬語」
「きっ、緊張してるからに決まってるでしょ! 茶化さないでよ」
「茶化してねぇよ、いつもの延長って言う割にかしこまってんなって思って。可愛いとこあんのな」
 重ねた手をくるりと反転し、細い指を絡め取る。
「なりますか、男と女に」
「ちょ、言い方!」
 反射的に自分の方を向いたナミの唇に、ゾロはそっとキスをした。
「嫌か?」
 驚いた表情で固まったまま、ナミはぱちぱちと大きく瞬きをする。
「仲間より少し深い、なんて慎ましい関係はごめんだね。深くなるならどこまでも、おちてきてくれよ、ナミ」
 グラスを置いた手でナミの頭を包み込み、抱き寄せた勢いでもう一度キスをする。触れるだけのものから、少しずつ深く、深く、深く。
「……やば。顔熱い」
「おちた?」
「底に沈められました」
「ははっ、上出来」
 からりと笑ってナミの頭をぽんぽん、と撫でるゾロは、この上なく幸せな顔をしていたのだった。

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