酸いみかんとコーラパンチ

ゾロナミ

「男の人って、好きでもない女とセックスできるものなの?」


 流れていく雲を目で追いながら、隣の大男に問う。爽やかに晴れた青い空に甘い飛沫が噴き上がる。


「やだ、コーラ噴き出さないでよ。口拭いて」


 悪りぃ悪りぃ、なんてボソボソと呟きながら、花柄アロハの裾で口を拭く。濡れてしまったリーゼントがゆっくりと萎れていくのを、横目でぼんやりと眺めた。


「おいおい小娘、どうしたァこんな快晴の真っ昼間に」
「べつに。この前読んだ雑誌に書いてあったから。あんたもそういうことするのかなぁって、思って」


 手の中のみかんに親指を挿し入れて、柔らかな皮をゆっくりと剥いていく。甘酸っぱい香りが弾け飛んで、投げかけた話題の場違いさをいっそう際立たせた。


「そりゃあおめぇ、そういう男もいればそうじゃねぇ男もいる、としか言えねぇだろうなァ」


 期待外れの回答に唇を尖らせる。


「答えになってない」


 口に放り込んだみかんは色のわりに酸味が強くて、まだ早かったか、とほんの少しの後悔。
 この男に一体どんな答えを期待していたのだろう。そうだ、と肯定されれば納得したのだろうか。
 悶々と思考を巡らせる私の横で、フランキーは体内から新しいコーラ瓶を取り出し、小気味良い音を立ててその栓を開ける。


「知りてぇのは俺じゃねぇだろ?」


 男がチラリと見遣った先、船縁に背を預けて眠りこける緑髪の剣士の姿。組んだままの腕の盛り上がる筋肉に、いつかの夜を思い出す。


「直接聞けっての? 無理でしょ」


 すでに関係を持ってしまった相手にそんなことを聞けるほど、私の神経は図太くない。どういうつもりで抱いたのかなんて聞く女、面倒くさいことこの上ない。
 ましてその相手に私は好意を寄せているのだから、この関係がほんの一時の気の迷いだったとして、自ら壊しにいくだなんて恐ろしくてできるわけがない。


「ねぇ、あんたはどうなの?」
「んなこと聞いてどうすんだ」
「ただの興味よ。ロビンには言わない」


 本日二度目のコーラ飛沫。派手に噴き上げた炭酸がシュワシュワと音を立てている。


「も〜なに汚い。落ち着きなさいよ」
「なっ、おめぇがロビンとか言うからだろうがァ!」
「動揺するほど好きなわけ?」


 自然、口元が緩んでしまう。
 二人ともいい大人だし、関係が深まって当然と思えるような体験を共有したのに、未だに仲間の枠を越えていない。名前を出しただけでこの慌て様。恋する大人は、可愛らしい。


「そんなんじゃねぇよ」


 顔色を変えることはなく、しかし幾分口調は柔らかい。


「勝算、あると思うわよ。ロビンはあんたを気に入ってる」
「んなこたぁ分かってる」
「じゃあ、」
「だからこそだ。あいつの好意につけ込んだなんて思われたくねぇだろ。慎重にいきてぇのよ」
「本気、だから?」


 くたりと寝ていた水色の髪を手櫛で整えて立ち上げる。


「そういうこった」


 ニヤリと笑った顔がいつもより男前に見えたのは、気のせいではないと思う。


「なぁんだ。やっぱ好きなんじゃない」
「好きだの嫌いだのの次元はとうに超えてる」


 あんまり真っ直ぐに言うものだから、揶揄う言葉も出てこなくなる。結局のところ、この人のこういうブレない情の厚さに、私は甘えたかったのだと思う。私がぶつけた面倒くさい質問に「そんなわけはないだろう」と、あの男から欲しい言葉をもらえないかと期待して。
 しかし大人の男は一枚上手。思うように甘やかしてはくれない。それはこの人の誠実さの表れであり、気休めの言葉では満たされることのない私の心情を慮ってのことだ。


「ナミ、おめぇまだ小娘なんだ。小娘は小娘らしく、素直にさらけ出してみりゃいいだろう」
「素直に、ねぇ……」
「アイツだってまだ十代のガキだろ。察してもらおうなんて思わねぇ方がいい。物分かりのいいフリして言いたいこと飲み込んでるうちに、拗れて面倒くせぇことになるぞ」


 もうなってるよ。拗れて捻れて、絡まって。


 一房みかんに歯を立てて、薄皮を破り溢れ出す酸っぱい果汁はじわりと舌を痺れさせる。
 素直になるタイミングを見誤った私はきっと、この先ずっと可愛げのない女としてアイツのそばにいることになるのだろう。私たちを繋ぐのは、心じゃなくて、肉体だ。


「あんたたちはちゃんと心で結ばれるわね、きっと」


 声の色に羨望が混じる。純粋に素敵だと思うし、私たちにはきっと叶わないことだから。


「なにをそんなに悲観するんだか知らねぇが」


 ガコン、と外したコーラの瓶が目の前に差し出される。


「”勝算”、あると思うぜ?」
「は、えっ?」


 次の瞬間、ブンブンと思い切り振られた瓶の栓がポンッと外れて、シュワシュワパチパチ弾けるコーラが私の髪や服を濡らした。


「きゃー! ちょっとフランキー!」
「おー悪りぃ悪りぃ」
「悪りぃ悪りぃって、わざとでしょ!」
「まぁそう怒んなって。迎えきてんぞ」
「えっ?」


 振り返ると、いつの間にか目を覚ましていたゾロがすぐそばに立っていて、不機嫌な瞳が私を見下ろす。


「悪りぃな、手ェ滑った」
「ん」


 それだけ交わすとゾロは私の手を引いてズンズンと歩き出す。


「ねぇちょっ、」
「透けてんだよ。風呂行くぞ」
「なに、怒ってるの?」
「そりゃお前……」


 ぎゅっ、と握る手に力がこもる。


「他の男にんな格好見せられるわけねぇだろ、アホ」


 少しだけ。赤く染まる耳の意味を自惚れてもいいのなら。


「それは……」


 素直になっても、良いのなら。


「私、だから?」


 止まることのない足は徐々に速度を緩めて、隣に立ち並ぶ。


「他に理由ある?」


 真っ直ぐに射抜く視線は、駆け引きなしの気持ちを包み隠さず表すから、今度は私が戸惑う番。
 握り返した手のひらから、「なんで」も「嬉しい」も「好き」も、全部伝われば良いのにと思いながら。唇が触れるまで、あとほんの数秒。
 

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