甘い夜

ゾロナミ

「なぁ、どう口説かれんのがグッとくる?」
「なによ、仕事全然関係ないじゃない」
「仕事の話ばっかじゃ息詰まんだろ。息抜きだ息抜き」

 え〜、なんて顔を顰めながらグラスを隣でグラスを傾けるナミは、顔色ひとつ変えないまま俺の話を聞いていた。
 仕事の相談がある、だなんてずいぶん無粋な誘い方だと思う。しかしそうでもしないとこいつと二人、酒を飲むことなんてきっと不可能だった。下心を見せれば断られる。そうやって玉砕してきた輩を何人も見てきた。
 同期として同じ会社に入社して三年が経ったが、いまだこいつのガードの固さは折り紙付き。だが相手がいないことも調査済み。同じ部署というアドバンテージを最大限に生かして仕事を通して徐々に距離を詰めて、どうにか二人で飲みに連れ出すまでは成功した。この機会を逃すわけにはいかない。
 それにしても、職場の飲み会でも窺い知れたが、やはりナミはザルだった。酔って勝手に甘くなるタイプではない。ならば、仕事の話もそこそこに本題に入りたい。もっと他にやり方があるかもしれないが、回りくどい方法は俺には難易度が高すぎた。

「どうだよ? 例えばこうやってカウンターに並んで座ってて」
「え? うん」

 やれやれ、という表情ながら聞く耳は持ってもらえるらしい。

「容姿を褒めるのは?」
「ありきたり」
「酒の強さ」
「褒めるとこじゃなくない?」
「仕事できるよな」
「それは嬉しい」

 そこか。色気ねぇなぁ。

「まぁ実際お前は仕事できるよな。頼んだもんすぐ上げてくれるし、上への根回しも上手いし」
「そりゃね、まぁ最低限はね」
「気が利くって評判だし」
「へへっ、ありがと」
「面倒な客も上手くあしらうし、その上でちゃんと契約取るし」
「それは運が良いだけよ」
「こないだのはすげえなって恐れ入ったわ。あの黄色いスーツの客」
「あぁ、あははっ。あれねぇ。めんどくさすぎて笑っちゃったわ」

 大袈裟に笑った後に酒のグラスに落とした瞳がわずかに翳る。その表情はふわりとかかった髪に隠れて読み取ることができなかった。

「すげぇからこそ、……隙なさすぎて無理してねぇかって、ちょっと心配」

 垂れ落ちた髪に手を伸ばして耳に掛ける。ハッと見開いたまぶたの先、まつ毛の艶が色っぽい。柔らかな髪とわずかに触れた頬の熱さにドクン、と心臓が音を立てる。

「完璧なんだよな、お前はさ」

 耳たぶの先で揺れるピアスをそっと指で撫でる。振り子のようにゆらゆらと揺れる華奢な金属の飾りが、どこか儚げに目に映る。

「擦り減ってるとこ見せねぇし、愚痴も言わねぇ。そういうとこがちょっと、危うく見える」

 グラスに添えたままの手を絡め取り、冷えた細い指先を温めるように俺の手を重ねる。

「別に、危うくなんか、」
「分かってる、これは俺の勝手な心配だから勘違いと言われればそれまでだ」
「……うん」
「けどなんつーか、頼ってくれたら良いのにって思って」

 重ねた手の中、抜け出ていかない小さな手をできるだけ優しく握る。

「俺じゃ頼りねぇ?」

 覗き込んだ瞳が揺れる。いつも視線の先でくるくる変わる表情。そのどれとも異なる、知らないナミの顔。

「頼る、ってどうやればいいのかしらね」
「うん?」
「入社したばっかりの頃、指導についた先輩は男性で、簡単なミスしちゃった時に『君はかわいいからちょっとくらいミスしたって許されるよ』って言われた。多分フォローのつもりで。初めて契約取った時、周りの女性の先輩からは、『あなたはいいわね。仕事の出来なんか関係なく契約とれちゃって』って言われた。今思えばきっと妬まれてたんだと思う」

 知らなかった。同じ部署にいたのに、入社したての新人の俺は自分のことに精一杯で、周りのことなど見えていなかった。

「顔で仕事してるわけじゃないし、やりたいことしに会社来てるのに、そんなふうに言われるのはなんだか、」
「癪だな。すげぇ、ムカつくわ」
「そう、ムカついたのよね。だから、職場で浮ついたところ見せないように、仕事は完璧に、誰にも何も言わせないようにってここまでやってきたの」

 キッ、とグラスの水面を睨んだ瞳がふ、と緩む。

「そしたら、人に頼るってどうやればいいのか、分かんなくなっちゃった」

 へらりと笑ってそう言った顔は、年齢よりもずっと幼い、可愛らしい少女のような無垢さがあった。虚勢も気負いも脱ぎ捨てた素の表情は、もう一度俺を恋に落とすのには十分過ぎて。

「あ、あっ、ごめん。困るかこんな話。飲み過ぎたかな」

 頭を抱えた俺の反応に慌てるナミ。離れかけた手を捕まえてしっかりと指を絡める。

「いや、違うそうじゃねぇ。その、やー……、なんだ。これから、覚えていけば良いんじゃねぇ?」
「ん?」
「仕事ができるのはわかってるが、疲れねぇのとは違うだろ。お前が重い鎧背負って頑張ってるのも否定はしねぇ。だがせめて、それを脱げる場所があっても良いんじゃねぇの?」
「それは、例えば?」
「例えば、俺の隣、とか」

 チラリと隣を見遣ると、予想外に頬を目一杯赤く染めたナミが繋いだ手を見つめている。

「もう一杯、頼もっかな」
「ん、おう」
「あんたの隣、居心地良いから」

 絡まる指先、ふける夜。ナミが頼んだカクテルに沈むように、二人の空気が甘くなる。


 

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