懸想

ゾロナミ

10年前

 十年前の祭りの後、二日も経たずに海は荒れ出し、島全体が激しい暴風雨に見舞われた。
 嵐を迎える支度をしていた海沿いの人たちは、予想よりも早く襲ってきた大波と雨風をもろに食らいながら高台へと避難していた。丘の下の商店街に住む俺たちにも、家の補強ある程度済ませて家の中で過ごすよう指示が出ていた。
 心配なのは先生だった。
 この島に来て五年が経とうとしているのに、居を構えることもなく海沿いの広場付近で野宿を続けていた。祭りの最終日、俺たち門下生は先生にこの中の誰かの家に避難することを強く勧めた。
 先生は笑って申し出に感謝を示し、海が荒れ始めたら丘の方に行く、とそう言った。
 しかしその言葉に安心はできなかった。先生は致命的なほどの方向音痴だった。
 海が荒れ始めてから海沿いに降りるのは自殺行為。門下生たちは迎えに行きたい気持ちを抑えながら、姿が見えたら先生を誘導しようと、商店街の海側の入り口で代わる代わる見張りをした。
 俺が見張りに出向いた頃にはすでに波は高くなっていて、目視する限り砂浜は海に飲み込まれていた。浜辺より数段高くなっているいつもの広場だって、もう後わずかで飲み込まれる。人影もまばらで、その中に先生が紛れていることを願うばかりだった。
 激しい雨風に打たれながら必死に目を凝らしていると、突然、海が割れた。まるで鋭い刃物で斬りつけられたかのような切れ味で、真っ二つに分かれる海を見た。それはほんの一瞬の出来事で、海はまたすぐに波を高く上げ、反動をつけて海沿いの街に襲いかかる。雨も風も海も、その荒々しさを増していき、いよいよ立っていられなくなってくる。
 結局、心配した親父が俺を家に連れ戻すまで、先生の姿を見つけることはできなかった。親父に支えられながら誰もいない商店街を家まで戻る道すがら、俺たちの背後を若い父親と幼い娘の親子が高台へ避難するのを見たのが最後だった。

 それ以来、この島で先生を見かけた者はいない。
 大嵐が去って、荒れに荒れた海沿いの街を端から端まで探したし、大人たちは捜索船を出して近海も探したものの、先生の持ち物も身に付けていたものも、何一つ見つからなかった。
 次第に先生の生存を諦める空気が流れ始めて、それでも自主的に剣の稽古に集まっていた者たちも一人、二人と輪を抜けていった。最後に残ったのは俺と幼馴染を含めたたった四人。その中の一人が島を離れて働きに出ることが決まったタイミングで、俺たちも解散した。先生はあの嵐の夜、迷子になって帰ってこられなくなってしまった、ということにして。

 まだ穏やかな海を見つめてそれぞれに先生のことを思い出す。この後の祭りの中で、祈祷師から今回の嵐の規模と避難の指示が伝えられる。この嵐では誰も犠牲にするまいと、言葉にせずともそう強く思っている。それはきっと、隣に立つこいつも同じだった。
「どれ、そろそろだな。三日間よろしく頼むわ」
「おう、よろしく」
 声を掛け合い分かれると、まもなく警備部隊に集合がかかり、それぞれ持ち場の割り振りとローテーションが指示された。振り返ると屋台や露店の準備が整い、見物にきた客も増えて賑わい始めている。浮かれた雰囲気の中、祭りの開会が高らかに宣言された。

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