懸想

ゾロナミ

祭り

 あの誕生日のデートから、ナミと顔を合わせることが今まで以上に少なくなった。外泊、なんて言い方もおこがましいけれど、彼女がうちじゃないどこかで過ごす時間が増えた。うちに戻ってきた次の日は、俺が起き出すよりも前に出掛けていることも多かった。
 意図的なのかは分からない。顔を合わせればいつも通り、今まで通りに「ただいま」「おかえり」と声を掛け合うし、都合が合えば一緒に食事だって摂る。酒を飲みながら話すこともある。
 けれど、あの誕生日の夜のような、彼女の側の話は一切なくなった。彼女は俺の近況をたずねて、商店街の人たちの話をして、今夜読む本の話をする。それが俺たちの会話のすべてだった。
 彼女が隣にいれば爽やかなオレンジが香って、ゆるく波打つ髪の一房が不意に俺の肩に触れたなら、爆音の心臓が鳴り響く。何度その小さな頭を抱き寄せてしまおうかと思ったか分からない。早鐘を打つ胸の中に閉じ込めてしまいたくて、もぞもぞと腕を組み替える間に、彼女はスッと体勢を変えて自然に俺と距離を取る、
 何も変わらない俺と、少しずつ遠くなっていく彼女と。そんな日々を繰り返して、季節は秋の入り口をとうにくぐり抜けていた。

 久しぶりに大口の仕事が入って三日ほど家を空けることになった。俺の仕事はざっくり言えば『何でも屋』で、親父の代からの客の頼まれごとを細々と続けている。
 親父は手先の器用な職人で、主に物作りがメインの仕事だった。俺も一通りの加工術は習ったから、木から金属まである程度のものは作れるけれど、メインはもっと単純な肉体労働。
 今日からの仕事は祭りの警備だ。大嵐の予兆がある年にだけ行われるこの祭りの開催は、実に十年ぶりだった。町に甚大な被害が出ないよう、近くの島の有名な祈祷師を呼んで海の神を鎮めてもらう。この祭りの趣旨はそんなところだ。
「さて、行くか」
 祭りの警備をすることは、この前ナミが戻った時に話しておいた。念のため、三日後に帰ることと、家の中のものは好きに使って構わないことを書き置いて、俺は家を出た。鍵は古いポストの中。ナミがうちに来るようになってからはいつもそうしている。カン、と鍵が落ちる音を確かめて、海沿いへ向かった。

 祭り会場の近くにはすでに人が集まりつつあった。十年ぶりの開催とあって町全体が浮かれている。海沿いの店はもちろん、うちの並びの商店街の店主連中も露店を構えて祭りの盛り上がりに一役買っているようだった。
「おーい」
 呼ばれた方を振り向くと、商店街の顔なじみであるガラス細工屋のおじさんが手を振っている。こちらも手を上げて、おじさんの露店に駆け寄った。
「おじさんも店出してるんだ」
「あぁ。お前の親父ほどじゃないが、土産もんくらいは揃えてるんでね」
 店先に並べられた小さなガラスの置物やグラスは、陽の光を反射してキラキラと輝いている。
「そういや前の祭りの時は親父も店出したっけね」
「お前も店出せば良かったのに」
「ははっ。俺はあんなにこまごまたくさん作れないよ。頼まれたもんだけで手一杯。今日は警備の方だしね」
 軽く指した集合場所には島の若い男たちが集まっている。前の祭りの時にあの中心にいたのは、先生だった。
「そろそろ行かなきゃ。おじさんも祭り楽しんで」
「おう。気をつけてな」
 おじさんと別れて集合場所に行くと、久しぶりに顔を合わせる友人や商店街の同級生たちも数人いた。ドンっ、と後ろから衝撃が走り肩に腕が回される。驚いて振り返ると、満面の笑みを浮かべた幼馴染がそこにいた。
「久しぶりだなぁ! 元気だったか?」
「あぁ。そっちも?」
「おー。もうすぐ三人目が生まれるから毎日働き詰めよ」
「そうか。おめでとう」
「おう。お前は? 今何やってんの?」
「俺は〜……悠々自適の独身生活?」
「いいご身分だなぁ噂聞いたぞ? 外国の女と仲良くしてるらしいじゃん」
「あー、うんまぁ」
「すげー美人らしいな。今度紹介しろよ」
「紹介って。奥さん怒るでしょ」
「そうじゃなくても毎日怒られてっから問題ねぇよ」
 ガハガハと笑うコイツとは本当に小さい頃からの付き合いで、学校も遊びも、剣の稽古も、ずっと一緒にやってきた。コイツが結婚してからは疎遠になってしまったけれど、久しぶりに会っても変わらない気楽さに、僅かにあった緊張がほぐれた。がたいが良くて声も大きい、腕っぷしの強いコイツが今回の祭りの警備の要だ。
「前の祭りの時はさ、先生がここに立ってたよな」
「あぁ。俺もさっき思い出してた」
「カッコよかったよなぁ先生。練り歩くだけで威圧感半端なかったし、酒飲んでても腕は立つし。圧倒的だったよなー」
 思い出すその人の姿は確かに、いつどんな場面においても圧倒的だった。そこにいるだけで空気が変わる。立ち姿も酒瓶を呷る横顔さえも真っ直ぐに整っていたし、剣を振るえば豪快な華やかさがあった。
 懐かしむ目はどちらともなく波打つ海へと視線を投げた。
「先生……どこで迷子になってんだろうな」
 ぽつりと呟いた最後の言葉が俺たちの間にかげを落とす。十年前の祭りの直後、大嵐の夜に、先生はいなくなった。

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