懸想

ゾロナミ

 懐かしい日の夢を見た。
 
 その日の練習試合で派手に負けた俺は、先生に頼み込んで遅くまで稽古をつけてもらった。先生の教え方は決して優しくはなかったけれど、大事なことを確実に教えてくれた。それは技術的なことだけでなく、相手に向かう時の心構えであったり、基礎となる身体の使い方であったり。剣を構える上で必要なことを無駄なく伝えてくれる。そういう先生の人柄を、俺は尊敬していた。
「休憩」
 試合の後の稽古でさすがに疲労が溜まっていた。もう一回、もう一回、と食い下がる俺に、ちゃんと休めと区切りをつけてくれたのだった。
 流れ落ちる汗をタオルで押さえる俺の隣で、先生は涼しい顔をしている。沈みかけた陽に目を細めて「今日はそろそろ終わりだな」と呟く横顔に問いかけた。
「先生はどうやって強くなったの?」
「あ?」
「俺、先生みたいに強くなりたい。どうやったら先生みたいになれる?」
 先生は一瞬目を見開いて、すぐに苦笑いを浮かべた。
「俺みたいに、は、ならなくていいが」
 前置きして、先生は俺の目をしっかりと見据えて言った。
「一つ明確な目標を持て。なんでもいい。誰かに勝ちたいでも、誰かを守りたいでも、名を上げたいでも良いから、揺らがない気持ちが必要だ」
「揺らがない、目標……」
 これといって特技もなければ秀でたところもなかった俺は、こうなりたいとか、こうありたいとか、そういう気持ちに圧倒的に欠けていた。見抜かれていたのだと思う。足りない部分を的確に指摘されて、恥ずかしくもあったけれど、先生が俺をしっかり見てくれていることが嬉しいと思った。
「まぁすぐには見つからねぇかも知れねえが、越えるべき山が見えれば、自ずとそれに挑む体勢に入る。その時が、お前が強くなる時機だ」
「はい」
 噛み締めるように返事をすると、先生は口角を上げて笑った。
「遅くなっちまったな。親父さん心配してんじゃねえのか」
「いや、親父今忙しいみたい。家でも作業場で仕事してるし、俺が帰ったかどうかなんて気付かないよ」
「大変だな、職人ってのは」
 俺がカバンに荷物をしまうのを眺めながら、先生はしみじみとした口調で感想を漏らした。
「おっ」
 先生が声を上げる。
 しまう荷物の中からひらりと一枚写真が落ちた。いつも大事に持ち歩いている、憧れの女性の写真。
「わっ、ちょっと」
 先生はそれを拾い上げると、真剣な表情で写真の中の人を見つめた。
「随分年上の女を選ぶんだな」
「いや、あのこれは、その……」
 抱えていた秘密を暴露してしまったような気持ちだった。もしかしたら先生はロロノア・ゾロかもしれなくて。だとしたらこの写真の女性のこともよく知っているはずで。
 今まで知らないふりをして関わっていたことを咎められるかもしれない。写真の中の人を密かに想っていることを笑われるかもしれない。
 頭の中でぐるぐると考えていると、目の前に写真が差し出される。
「お前みたいな素直でいい奴が合ってんのかもしれねぇな」
「は、えっ?」
「手を焼くぞ、こういう女は」
 そう言って写真を返してくれた先生は、見たことのない優しい顔をしていた。
「先生、この人……」
 
 知ってるの? と口にしようとした瞬間に目が覚めた。

 あの時それを聞いたのか、そもそもそんな会話があったのか、それすらもう思い出せないけれど。あの時の先生の優しい表情だけがやけに目に焼き付いていた。
 視線をやった窓の外、開けたカーテンの向こう側は昨日の好天が嘘のように、どんよりとした灰色の雲が垂れ込めていた。

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