懸想

ゾロナミ

ねことの生活

 朝、目が覚めたら家の中をぐるりと回って彼女を探すのが日課になった。起きたらいない、という朝にはもう慣れたけれど、また戻って来るだろうなんてどっしりと構えていられるほど、信頼を深めている自信もない。ふらりと一人で外へ出ては、気まぐれに家に戻ってくる。そういや彼女の二つ名は「泥棒猫」といったな、なんてことを思い出す。
 彼女はいつでも自由だった。ある時は「海に入ってきた」と髪を濡らして戻ってきたり。またある時は両手に大量の食料を抱えて、「美味しいご飯を作ろう」と無邪気に俺を誘ったり。
 外での彼女を俺はよく知らないけれど、近所の店のおじさんおばさんたちとはすっかり顔馴染みのようで、よくいろんなものをもらって家に戻ってきた。おかげで家の食料や雑貨類はあっという間に充実した。
 彼女が数日戻らないこともままあって、もう会えないのだろうか、と思う頃に「ただいま」と戻ってくる。その一言を聞くだけで、少しは拠り所になれているような気がして心が満たされた。
 一緒に過ごせる夜なら酒を飲んだり話をしたり。ただソファで隣同士座って、彼女が本を読んでいるのを眺めるだけの時間ですら、俺にとっては最高の娯楽だった。
 そして日が変わる前、「おやすみ」と告げて俺は寝室、彼女はゲストルームに入ってそれぞれの寝床で眠りにつく。こういう時、狭いワンルームにでも住んでいれば、と分不相応な家を遺して亡くなった親父を恨めしく思う。
 いや。どうせ小さな部屋で一人暮らしでも同じ布団で寝ることなんてきっとできやしない。
 あの夜手を握って以降、キスはおろかあの肩を抱き寄せることすらできていない。経験がないわけでもないのに、彼女を目の前にすると胸がいっぱいになって、俺の卑しい下心なんかあっという間に砕け散るんだ。「お前じゃ釣り合わないよ」と親父に言われているような気がして、薄いブランケットを頭からかぶり小さく丸まって眠りについた。

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