懸想

ゾロナミ

陸の上の嵐

 窓を打ち付ける風と雨の音で目が覚めた。早朝と呼べる時間だった。やってきた嵐はずいぶんと荒ぶっていて、補強した窓を叩き割ってしまわないかと少しばかり不安になる。 
 外の賑やかさにすっかり眠気は覚めてしまった。のそのそとベッドから這い出て部屋の扉を開けると、ちょうど同じタイミングで斜め向かいの部屋からナミが出てきた。
「おはよう」
「おはよう」
 小さく挨拶を交わして順に下に降りた。彼女が顔を洗う間に俺はキッチンで水を飲んで、湯を沸かす。
 火にかけたやかんをぼんやりと眺めながら昨夜のことを思い出す。
 昨日、二人の温度は確かに変化したと感じたのに、一夜明けて嵐の朝を迎えると、その温度はいつも通りのものに戻っていた。
 俺のことなど眼中にない余裕たっぷりの大人の女性と、人畜無害な意気地なしの俺。
 それはそれで心地よい。二人にとってのいつも通り。何も問題はないのだけれど、いつものその先を期待できるかと心を躍らせて眠りについた、昨日の自分は心の底で残念がっている。
「もうご飯にするの?」
「ううん。まだ早いしとりあえず飲み物」
「私にもちょうだい。あったかいの、コーヒーがいいな」
「了解」
 ソファにゆったりと腰掛けた彼女は、今日はどこにも出られないからか、珍しく部屋着のままだった。初めて家に来た日に貸した、まだきれいな方の俺のTシャツ。彼女が着ると袖は五分丈。裾は尻がすっぽり隠れるくらい。布地の中で泳ぐ華奢な身体は、また少し細くなった気がする。スラリとのびた脚は彼女のために用意した小さなブランケットに隠れて、パタパタと交互に上下するスリッパが可愛らしくのぞく。
 一人の時はインスタントのくせに、彼女のためなら豆から挽いて丁寧に丁寧に湯を注ぐ。別にインスタントだって十分に美味いけれど、何かやっていた方が美しい彼女を眺めるにはちょうど良くて、時間がかかる方を選んでしまう。
 二つのカップに注がれたコーヒーは我ながらいい具合に淹れられた。それらを両手にそれぞれ持って、彼女の元へと歩み寄る。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
 カップを受け取って滑らかに口に運ぶ彼女の所作を見届けて、俺も一口、苦味を啜った。
「今日から何する?」
 小さくコーヒーを啜りながら、彼女が俺に問う。
「陸の上の嵐は嫌だわ。海の上なら沢山やることがあるけど、陸の上じゃただ過ぎるのを待つしかないもの」
「たしかに。退屈だよな」
「考える時間が無限にあるみたいで、落ちてしまいそうになる」
「……落ちる?」
 彼女に聞いたつもりだったけれど、俺の問いかけに答えはなくて、外の荒れた風の音だけが耳に届く。カップのふちに口を付けたまま黙った彼女は、壁際のランプの灯りをぼんやりと眺めている。
「ナミ、酒飲もうか」
「え、お酒?」
「うん。ダメ?」
「ダメじゃないけど、まだ朝よ?」
「いいだろ。今日は外にも出られないし、家でできることなんて限られる。二人で楽しく酒でも飲もうよ」
「でも……」
「酒ならほら、たくさんあるし、眠くなったら寝たっていい。それで目が覚めたら、また酒飲んでなんか食べてさ。なんか海賊っぽくない?」
 一瞬ハッと開かれた瞳はそのまま視線を落として、整った眉を少し顰めながら苦笑いを浮かべる。
「そうね、そういう海賊もいたわね」
「なら付き合ってよ。俺の海賊ごっこ。海には出られなかったけど、海賊みたいな一日過ごしてみたい」
 この嵐の中、彼女を悲しみの渦の中に放り込むわけにはいかない。俺にできることなんてこれっぽっちもないのだ。
 苦し紛れの思いつきが果たして彼女の気持ちを軽くするかはわからない。けれど縛らずにそばにいて、少しでも言葉を交わすにはそれが一番のように思えた。
「あんたの海賊のイメージって偏ってるわ」
 やれやれ、という声が聞こえてきそうなため息と共に彼女は立ち上がり、棚を開けてその中にある酒を見繕い始める。
「言っとくけど、海賊の宴は一日じゃ終わらないからね」
 酒瓶を手に取り振り向いた彼女は、ニっと悪い顔をして笑った。海賊の彼女を初めて見た気がした。

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