嵐のあとに残るは紅

ゾロナミ

 パシャン、と弾ける音の後に、毛先から滴り落ちる紅い水滴。酒を浴びせ掛けられたのだと気付いたのは、隣にいた女のカクテルのグラスが空っぽになっていたからだ。

「いい加減にして。みっともない」

 言い放ったのはうちの航海士。自然と眉間にシワが寄る。

「あぁ? お前に迷惑かけたかよ?」
「見るに耐えないって言ってるのよ」
「なら見なきゃ良いだろうが。わざわざ突っかかって。ガキかよ」
「はぁ? ちょっとあんたねぇ、」
「おーい、そこまでだ」

 ナミの手が俺の胸ぐらを掴んで互いに臨戦態勢に入ったところで、やっと他のクルーたちが割って入ってきた。

「二人とも、頭冷やせ」

 コックに促されるのは癪だったが、これ以上店の中で続けるわけにもいくまい。目に染みたのは滴る酒か、それとも漂う紫煙だったか。どちらにしても気分の悪さに拍車をかけた。
 店中の注目を集めながら外に出たところで、ナミは大袈裟にため息をつく。その不機嫌な横顔がどこか傷付いて見えたから、思わず舌打ちで返してしまう。

「なんなんだよさっきから」

 何に対して怒っているのか、何がそんなに気に障ったのか、さっぱり分からない。

「ムカつくのよ。あんな周りにたくさん女の子はべらせて」
「あ?」
「ベタベタされすぎ。触らせすぎ。なによその口紅の跡」

 白いシャツの肩についた紅い汚れを恨めしそうに擦りながら、捲し立てるように次々と指摘するナミの表情は険しさを増していく。

「それに……唇はダメでしょ」

 急に声のトーンが落ちて、視線が外される。泣くのか、と一瞬の戸惑い。

「唇、って、なんのことだよ」
「キス。してたじゃない、隣の子と」

 したか? 記憶にない。そもそも隣にどんな奴がいて何を話していたのかも覚えていない。斜め前に座るこいつが楽しそうにしているのがやたら目について、腹が立って仕方がなかったから。

「いや、つうかお前そもそも俺のことなんか見てなかっただろうが。コックとにこにこ話し込んでルフィの世話焼いて。なんでんなこと分かるんだよ」
「見てたわ。見てたの。壁、鏡張りだったでしょ。ちゃんと見えた。あの子があんたの顔にぐっと近づいて、それで……」
「触れたとこまで見たのか?」

 俯いたナミの細い顎に指を添えて上向かせる。酒が入っても少しも変わらない顔色が、今はほのかに色付いている。

「なぁ、ナミ」

 触れるか触れないかの距離まで顔を近づけてその目を見れば、驚いたように大きく見開いた紅茶色の瞳の中に映るのは、物欲しそうな俺の顔だけだ。

「こういう時は、閉じろよ」

 触れてしまった唇は柔らかくて熱くて、極上、というのはこういうことなのだろうと惚けた頭で感じ取った。一瞬、と思って仕掛けた口付けがあんまり気持ち良すぎて、触れるだけにとどめることなど不可能だった。
 抱き寄せて、小さく柔らかなその唇を食むように誘えば、ナミもそれに応じてそっと唇をひらく。そうしてその隙間から舌先をねじ込んでも拒まれることはなくて、けれど慣れてもいない様子でおずおずと差し出される甘い舌に俺は内心歓喜した。女の喉から漏れ出る吐息混じりのくぐもった声に、これほど欲情させられるとは思いもしなかった。
 下半身に痛みを感じてさすがに正気を取り戻す。こんなに熱を持ったのは初めてのことだった。すでに密着してしまっている身体の熱は、きっとナミにも伝わっている。短いスカートの裾から伸びる脚がモゾモゾと動くのは、期待と取っても良いだろうか。
 ゆっくりと舌を引き抜いてもなお唇を離すのが惜しくなる。もっとずっと触れていたい。できるなら、その先まで。
 やっとの思いで唇を離して、滑らかな頬を撫でる。頬を赤らめて俺を見つめるナミがハッとしたように俺の唇に指を当てる。

「口紅……」
「あぁ、付いちまったか。お前とする前にこんなになってたかよ?」

 努めて穏やかに問いかけると、ナミは頭を横に振って「ごめん」とひと言呟いた。

「別にもう怒っちゃいねぇけど。なぁ、この後戻るか?」
「この店は嫌。あの子たちまだあんたを待ってるわ」
「なら」

 肩まで伸びた髪を撫でて左の耳にかける。あらわになった耳元に唇を寄せて。

「続き、しねぇ?」

 耳の先まで紅に染めたナミは静かに頷いて、差し出した俺の右の手をしっかりと握りしめた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました