よいよい

サナゾ

 船に積んだ安い麦酒は揺れのせいか保存状態のせいか、出航した日の宴の晩より遥かに気の抜けた苦い酒に成り下がっている。キレのない微炭酸が喉を通り過ぎて、舌先に残るのはコクのないただの苦味。やっぱ麦酒は苦手だ。
「お待たせ」
 カウンター越しに差し出した皿には昼間獲れた海獣の肉を使った簡単なつまみ。麦酒の苦味に合うようにガツンと濃いめの味付けで。
「おぉ」「美味しそ〜! さっすがサンジくん!」
 カウンターに並んで座るマリモ剣士と麗しの航海士は、出てきた皿に目を輝かせた。二人は突き出しの野菜のマリネをつまみながら、既に各々二杯は空けているようだった。
「なぁ。不思議に思ってたんだけどさ」
 新しいタバコに火をつけてふーっと吐き出した薄い煙はゆらゆらと換気扇に吸い込まれていく。
「なんでここでは麦酒なんだい?」
 ぱちくりと二度ほど大きく瞬きをしたナミさん。可愛い。
「あぁいやな、下でロビンちゃんたちと飲む時はわりと上等な酒開けるだろ? メンツ的な問題?」
「あぁ、まぁメンツ的な……そういう言い方もできるかしらね?」
 いたずらっぽい笑みを浮かべたナミさんと訳知り顔のマリモが、海獣の肉を頬張り口々に美味しい、美味いと感想を漏らす。
「アクアリウムは大人組の場所だからね。場所を借りる時はそれなりに謝意を表さなくちゃ」
「その点、ここはお前の場所だろ? 気兼ねなく安い酒で楽しめる」
「そうそ。気取らずにね」
 この二人がそんな遠慮をしていたとは、ちょっと意外だった。
 酒が飲めるならどこでも誰とでも、というスタンスのゾロに、この船の絶対権力であるナミさんという酒豪ツートップでもそんなことを思うのか。
「それにね、これは相手を選ぶのよ?」
 そう言って麦酒の樽をツンと指さす。企み顔も美しい。
「正直、元々の質も保存状態も良くない安っすい麦酒なんて、そのまま飲んだって美味しくなんかないわけ。だけどね、こうして最高に美味しいおつまみと気の置けない仲間と、リラックスできる場所で飲めば、気持ちよ〜く酔える最高のお酒なの」
 ねぇ? と同意を求められたゾロも無言で大きく頷く。
 酒豪二人の理論は正直俺の理解の範疇を超えているけれど、ただ単に酒の美味い不味いだけが彼らの関心事ではないことは確かなようだ。そして酒を美味くする要素の中にさりげなく俺と俺の料理を入れてくれている、二人のその気持ちが嬉しかった。
「なぁ、俺ももう一杯もらって良い?」
「あら、珍しいわね。いつもは隠してるワイン出すくせに」
 そう言いながらナミさんはゆるく笑顔を浮かべて、俺のジョッキにトプトプと麦酒を注ぐ。
「はいっ、どうぞ」
 カウンターに置かれたジョッキを手に取って、それに口をつけようとした瞬間に「あっ!」と呼び止めるナミさんの声。同時に上がる二つのジョッキ。
「これした方が美味しいでしょ?」
「これって?」
「乾杯だ乾杯。テメェ待ちなんだ早くしろ」
 あぁ、はいはい、と口元から離したジョッキを前に突き出して。
「それじゃ、まずくて美味しい最高のお酒に、」
「「乾杯っ!!」」
 カシャと音を立てて当たった三つのジョッキから黄金色が弾ける。口をつけたジョッキをグイッと傾けて一気に喉の奥に流し込む。苦味と抜けかけの炭酸が通り過ぎて、鼻に抜ける薄い香り。風味も喉越しもさっきと特段変わらないのに、何故だかこの一杯はとても。
「おいしい?」
 愉しげに俺を見つめるナミさんと、ゆったりと自分のペースで飲み続けるゾロ。
 あぁなるほど。それぞれがそれぞれの心地よさを持ち寄って、ここに居るから。
「うん、うまい」
 言葉にしたら二人の顔が同じだけ緩く解けていく。その表情に心がふわりと酔いはじめるのを自覚した。

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