みかんの木の下で

サナゾ

今日は天気が良い。空は晴れ渡り風もよく通る。絶好の昼寝日和だ。
昼食後の鍛錬を終えてすっかり汗も引いた午後、少しばかり昼寝を、とみかん畑に来たゾロは、すぐにそれが間違いだったと後悔した。

ナミとサンジが、みかんの木の下で抱き合っていた。

ゾロは二人の姿を認めた瞬間、離れなければと思ったが、そこから足を動かすことも、目を逸らすことすらもできなかった。
オレンジの髪を撫でる手は慈しむように柔らかく動いていて、青い瞳を見つめる眼差しは熱を帯びて誘うようだった。絵になるな、と思うと同時に、何故か悔しさが込み上げた。

ナミに出会ったのは自分の方が先だったし、ナミに近いのも自分だとゾロは思っていた。女としてどうこうしたいと思っていたわけではないが、それでもこの船の航海士を誰より大切に思ってきた。

それがどうだ。いつの間にか、後からきた金髪のコックに出し抜かれて、ナミはもうその腕の中だ。

こんな場面を見て初めて気付くなんて、とんだ間抜けだ、とゾロは自嘲めいた笑みを浮かべた。今さら自覚した、俺はナミを…。その時、サンジの声が響いた。

「うぉっ!マリモ!」
「えっ、あっ!やだ…ごめんゾロ!これは」
「あぁ悪い、邪魔するつもりはなかったんだが…もう行くから続けろよ」
「あっ!良いの私もう行くから!昼寝しに来たんでしょ?どうぞ、使って!」
「あ、ナミさん…」

そう言ったナミは頬を朱に染めながら足早にその場を後にした。サンジはまだみかんの木の下にいて、ナミの後ろ姿を名残惜しそうに見送ってからゆっくりとタバコに火をつけた。

「邪魔してくれんなよ、マリモ剣士」

煙を吐きながら苦笑いを浮かべて言う。

「てめぇらがこんなところで昼間っからイチャついてんのが悪いんだろ」
「いやぁナミさんがあんまりにも可愛かったんでつい。でもよ、あんな素敵な女性と想いが通じたら、テメェだって舞い上がってキスの一つや二つしたくなるだろ?」
「…そうかよ。生憎俺はテメェみてぇに年中発情してるわけじゃねぇんだ。次からは見えねぇところで隠れてやれよ」
「へーへー」

大して悪いとも思ってなさそうなサンジにイラつき、ゾロは不機嫌さを隠さずに重い靴音を響かせて甲板へ戻った。

甲板ではルフィとウソップが釣りをしていて、その隣にはチョッパーがロビンと共に何かの本を読んでいる。いつもの光景だ。
だがそこに航海士の姿はない。
ナミに会って何を話そうというのか、ゾロは自分でもどうしたいのかはっきりとは分からなかったが、何か問い詰めてやりたいような、そんな気持ちになっていた。

眠ろうと思っていたのに眠気はすっかりなくなっていて、頭の中ではオレンジと金が重なる様子が繰り返し映し出されている。ゾロの気分は最悪だった。

もうこんな日は昼から酒でも飲んでやろうか。キッチンでまたサンジと顔を合わせるのは不快だと思い、ゾロは倉庫に酒を取りに向かった。ちょうどその時、女部屋から出てきたナミに鉢合わせした。

「あっ…」
「おう」
「…どうしたの?何か取りに来たの?」

ナミはさっきのことに触れないつもりのようだ。言外に自分には関係ないと言われているようで、ゾロはまたふつふつと怒りが湧くのを感じた。

「お前さ、あいつといつからそうなってんだよ」
「え、あいつ…あぁさっきの?」
「それ以外にもいんのかよ」
「いないわよ!それにさっきのだって…別にサンジくんとはそういうんじゃない…」
「てめぇはそうでもあいつはそうは思ってねぇみてえだぞ。てめぇがその気にさせるようなこと言ったんじゃねえのか?船ん中でんないい加減なことしてんなよ!」

ビクッと肩を震わせて驚いたようにナミがゾロを見た。とぼけたツラしやがって。ゾロは腹の中で悪態をついた。

「てめぇは遊びのつもりでもあいつは本気だぞ。拗らせる前にどうにかしろよ」
「あ、遊びだなんて!そんなんじゃない!ただ、……」
「ただなんだよ?」
「別に遊んでるつもりじゃないのよ。ただ、サンジくんの気持ちの大きさに根負けしちゃったというか…私だって、そういうのは無理だからって何回も断ったわよ。でもサンジくん、それでも良いなんて言うのよ?私もうどうしたらいいか分からなくなってきちゃって…」
「そんなんで好きでもねぇ男と抱き合ったりキスしたりすんのかテメェは!案外軽い女だったんだな。見損なった」
「!!」

目玉が落ちてしまうのではないかと思うくらい見開かれた目は、みるみるうちに水を湛えた。それでもその一滴も溢さないよう堪えていたのは、女の意地に違いなかった。
それ以上、ナミの顔を見ていられず、ゾロは倉庫の扉を思い切り開けて外に出て行った。

あんなことを言うつもりではなかったのに。ゾロは嫉妬に塗れて感情のまま言葉をぶつけた自分の態度を心底恥じた。だが口から出て行ったものはもう戻すことができない。ナミを傷つけたことは動かぬ事実だった。

しかしナミもナミだ、とゾロは思う。
押されりゃなんでも許すのか?確かにサンジの押しの強さやしつこさは側から見ても目に余るものがあるが、それにしたって。
考えを巡らせてさらに怒りが沸いたゾロは、夕飯の時間までトレーニングに集中することにした。

本当に、なにやってんだ。
あいつらも、俺も。

ゾロはひたすら体を動かして頭を空にしようとしたが、余計な考えが浮かんでは消え、頭の中には嫌な想像が次々と駆け巡った。

ゾロが夕飯の席に着いた時には、ナミもサンジもいつも通りのくだらないやりとりをする程度で、みかん畑で見たような甘い空気を出すことはなかった。他のクルーもいる手前、気をつけているのかもしれなかったが。ゾロは極力二人を見ないようにさっさと食事を終えて、いつもより早めに席を立った。

ゾロが席を立った後、ウソップがナミにそっと耳打ちをする。

「なぁ、なんかゾロ変じゃなかったか?」
「え、そう…かしらね。あんまりよく見てなかったわ」
「なんだよナミ〜、お前らしくねぇな。ゾロの変化に一番に気付くのはいつもお前なのに」
「そ、そんなこと…」
「そうね。航海士さんと剣士さんが食事の時に一言も話さないなんて、とても珍しいわ」
「えっ、ちょっと、ロビンまで何言い出すのよ。別にそんなのよくあることじゃない」
「…そうか?」

訝しげな顔でナミを見つめるウソップの視線と、全てを見透かすようなロビンの微笑みに、ナミはいてもたってもいられなくなってしまった。

「はぁ。なんかもうお腹いっぱい。サンジくんごちそうさま!ロビン、先にお風呂使わせてもらうわね」

ナミは一気にそう言うと、そそくさとダイニングから出て行った。そんなナミの様子を、サンジはただ静かに見つめていた。

その夜、ナミはいつもより早めにベッドに入ったが、昼間の出来事や夕飯の席でのやり取りが頭の中で反芻し、なかなか寝付けずにいた。同室のロビンは今夜不寝番で、女部屋にはナミのため息だけが響いていた。

「…外の空気でも吸おうかな」

気分を変えようとナミが甲板に出ると、そこにはゾロが寝転がっていた。

「ゾロ…」
「…ナミか。どうした」

昼間の不機嫌さは幾らか和らいだようだったが、いつもの調子にはまだ程遠い声色だった。

「なんか眠れなくて。風にあたりに来たの。あんたも眠れないの?」
「…そんなとこだ」

それ以上の言葉が続かず、沈黙が流れる。気まずさに耐えらず、口を開いたのはナミの方だった。

「ねぇ、お酒でも飲む?」
「あぁ?二人でってことか?そんなことしたらコックが怒り狂うんじゃねぇのか?」
「サンジくんは…大丈夫よ。別に付き合ってるわけじゃないもの」
「…あんなことしておいて、そんな言い訳が立つと思ってんのか?」
「あんなことって!ちょっとハグしただけじゃない。大げさなのよ」
「なんだと⁉︎ちょっとハグなんて軽い雰囲気じゃなかっただろうが!」
「なんなのよさっきから!私が何しようと私の勝手じゃない!なんでそんなに突っかかってくるのよ!」
「それはお前がっ…」

ゾロは勢いに任せて自分の気持ちを口走りそうになった。慌てて言葉を飲み込んだゾロをナミは観察するような目で見ている。

「私が、なんなのよ?」
「なんでもねぇ。とにかく、俺はお前と二人で酒は飲まねぇ。お前らの面倒ごとに巻き込まれんのはごめんだ」

そう言ってゾロはナミの方を見ずに男部屋へと入って行った。

「…なんなのよ、もう」

今日何度目かのため息を吐きながら見上げた空は、灰色の雲がかかってどんよりとしていた。

次の日、朝から降り続く雨でじっとりとした船内で、クルーたちはなんとはなしにダイニングに集まって過ごしていた。

「そういやナミが来ねぇな。あいつ何してんだ?」
「航海士さんなら、今お仕事中よ。描き途中の海図が溜まってしまっているんですって」
「んナミすわ〜ん!今差し入れに行くからねぇ〜!!」

ロビンが言い終わらないうちにあっという間に差し入れを用意して、サンジはハートを撒き散らしながらナミの元へと飛んでいってしまった。その後ろ姿をゾロは忌々しそうに睨み付けていた。

トントントン、とノックが聞こえ、次に男の甘い声が聞こえた。
サンジくんだ。
ナミは、どうぞーと海図から目を離さずに返事をする。

「んナミさん!紅茶とクッキーをお持ちしました!仕事の息抜きにどうぞ!」
「気が利くのね、ありがとう。そこに置いといてくれる?」
「はぁ〜い!ナミすわ〜ん!」

よかった、いつものサンジくんだ。
ナミは内心ホッとしていた。
いつの頃からか、二人きりになるとサンジはナミを口説きにかかることがしばしばあった。最初は冗談だと思って適当にいなしていたナミだったが、その目の奥の色に気付いた時から、ナミはやんわりとサンジの誘いを断るようにしていた。この船のクルーとそういう関係になることは、非現実的なことのような気がしていた。
ある一人を除いては。

ビビやロビンが仲間になる以前、ナミはアーロン一味にいた時の名残から、どうしても他のクルーに対して無意識に距離を置くところがあった。気の良いクルーたちを信頼はしていても、何かの間違いが起きないとも限らない。それは男所帯の中で女一人が身を守ることがどれほど大変なことかを、身をもって知っているナミだからこその警戒心だった。
だが、グランドラインに入ってビビやロビンが同乗し、女性クルーが自分以外にもいる状況になっても、それまでと何も変わらないクルーたちを見て、彼らの素の人の良さを改めて感じた。そこでようやくナミはその警戒心を解くことができたのだった。

その中でも付き合いの長いゾロは、特に示し合わせなくとも考えが伝わっているような場面が何度もあり、ナミは一緒にいて居心地が良いと感じていた。ゾロのさりげない気遣いに助けられたことも一度や二度ではない。
そうした小さな積み重ねがあり、ゾロはナミにとって他のクルーよりもほんの少し特別な存在となっていた。その特別の意味が所謂男女のそれを指すのかどうか、ナミははっきりと自覚していなかった。だがもしそういう『間違い』が起こるのなら、その相手はゾロだろうと思っていた。

だからこそナミはサンジのそうした誘いを容赦なくあしらうことができていたのだ。自分の心を占めているのはサンジよりもゾロだった。
しかしサンジの言葉巧みな誘いとナミに対する熱意に、ちょっとくらいなら良いかな、と気を許してしまいそうになる瞬間が出てきた。それを敏感に察知したサンジが行動を起こしたのが昨日のみかん畑での出来事だった。

作業がひと段落し、メガネを外し首を回すと、階段にもたれ掛かりニコニコと笑顔を浮かべるサンジの姿が目に入った。

「あ、まだいたの?」
「まだいたよ。少しでも長くナミさんの近くにいてぇもん」

あれ、大丈夫だと思っていたのに。いつの間にか口説きモードのスイッチが入っている。ゆっくりとナミの元へ足を進めながらサンジが声をかける。

「集中してたね。捗ったかい?」
「えぇ、だいぶ描けたわ。あ、お茶ありがとう。いただくわね」
「頭使っただろうから甘いもんもどうぞ」
「ありがとう。美味しそうね」

この場の空気を甘くさせないように、ナミは努めて淡々と会話をした。

「なぁナミさん。昨日は邪魔が入っちまったけど、ここなら誰かに見られる心配もねぇよな?」
「えっ?」
「昨日の続き、しねぇ?」

そう言ってサンジは向かい合ったナミの背に腕を回し、ギュッと抱き寄せようとした。一瞬、ナミはその腕に身を任せそうになったが、咄嗟に突き出した両腕が、それを拒否していた。
サンジはそっとナミの背から手を離し、俯くナミの頬に長い指を滑らせた。

「ナミさん。マリモ野郎となんかあった?」

ナミは思わず顔を上げ、サンジの目を覗き込んだ。感情の読めないサンジの表情に、不安な気持ちになる。

「え、ゾロ⁉︎なんで?」
「いや、なんとなくいつもと違う感じがしたというか。何もねぇならいいんだ。気にしねぇで」

ふにゃりと表情を崩した彼は、しかし真剣な眼差しはそのままに続けた。

「ナミさん、俺あいつにナミさんと想いが通じたって嘘ついた」
「…えっ?」
「ゾロがさ、ナミさんに気があるように感じたんだよな。だからちょっと牽制。構わねぇよな?」
「牽制って…私たちまだ付き合ってるわけじゃないわよね?」
「今は、な。でも俺はナミさんのこと、本気で欲しいと思ってるよ?」

いつもと変わらぬ優しい笑顔で、はっきりと自分の気持ちを告げたサンジに、ナミは返す言葉を失っていた。これまでの言動でわかっていたはずだったのに、改めて言葉にされると戸惑いを隠せなかった。

「ははっ。別にナミさんを困らせたいわけじゃねぇんだ。ゆっくりで良いからさ、俺を好きになってよ。ナミさん」

そう言ってサンジはナミの頬に軽くキスをして、部屋を出て行った。

どうして昨日、いつものように彼の誘いを断らなかったんだろう。今さらながら、ナミは戯れを許してしまったことを後悔し始めていた。

休憩を挟み、作業を再開する前に針路と天候の確認を、とナミは外へ出た。針路は今のところ問題なかったが、天候が荒れる予兆をナミは敏感に感じ取った。

「みんな!持ち場に着いて!嵐が来る!」

ナミの声は船内に響き、みな瞬時に反応して持ち場に着く。クルーたちは慣れた様子で嵐に備え、大荒れになる前にある程度の準備は整った。

まもなく海はうねり始め、船は大きく揺さぶられた。雨なのか波なのか区別のつかない水しぶきを浴びながら、荒れた海を進んで行く。そんな時のクルーたちのチームワークは抜群で、ナミの指示に従って嵐の中を乗りこなしていた。

「みんなもう少し耐えて!向こうの空は雲が切れてる!じきに嵐は終わるわ!」
「おう!!」

クルーたちはナミの言葉に威勢よく応答し、雲の切れ目に向かって船を進めて行った。
目の前に明るく晴れた空が見えた瞬間、突風が吹いて船が大きく揺れた。皆近くにあったものにしがみつき、ことなきを得たと安心して嵐を抜けた船内を見回すと、先ほどまで声を上げていた航海士の姿が見えなかった。
先程の揺れで船の外に投げ出されたのか?

「ナミ!」「ナミさん!」

ナミのオレンジ色の頭が海に飲み込まれる瞬間、事態に気づいたゾロとサンジが迷いなく海に飛び込む。あっという間に3人の姿は海の中へと消えて行った。

「…大丈夫かなぁ、あいつら」
「大丈夫だ。ゾロもサンジもいるんだ。あいつらは絶対にナミを助ける」

ルフィの力強い言葉に、チョッパーが頷く。

「そうだな!あいつら強ぇもんな!俺、ナミが帰ってきたらすぐに手当てできるように準備しておく!」
「……3人、無事に戻って来るかしらね」

船内に入って行ったチョッパーを見送ったロビンが、人知れず小さく呟いた。

しばらくして、船に上がってきたのはサンジ一人だった。

「サンジっ!ナミとゾロは?流されたのか⁉︎」
「あぁ…潮の流れが速くなってるところでナミさんが流されちまった。だがゾロも後を追っていったから、多分ナミさんは無事だ」

サンジは苦い顔でそれだけ言うと、ナミが流された方向を示し、チョッパーの手当てを受けるために船内に入った。サンジの指した方向には無人島らしい小さな島がぽつんと浮かんでいる。航海士不在のメリー号は、残るクルーでどうにかその島に向かうことにした。

*****

誰かに強く抱きしめられていた。水の中を、守られるように抱かれたまま流されていた。とても、安心する……

「…ミ、ナミ…」
「………んん」

ナミが目を開けると、傷だらけのゾロの顔がぼんやりと見えた。

「…ゾ、ロ?ケガ、してる。大丈夫?」
「アホかお前は。溺れて死にかけたのはてめぇの方だぞ」
「…え?」

言われて途切れた記憶を辿ってみる。さっきまで嵐の中を航海していて、もう少しで嵐を抜けると思った瞬間、船が大きく揺れて…

「あっ、私…海に落ちたのね」
「そうだ。思い出したか?」
「えぇ。ゾロが助けてくれたのね、ありがとう。その、ケガ、平気?」
「あ?あぁ、こんなんケガのうちに入んねぇ。お前は?具合どうだ?」

ゾロに言われてナミは自分の身体を調べた。着ていたレインコートはボロボロに破れていたが、幸い大した怪我もなく痛みなども感じなかった。

「大丈夫そう」
「そうか、良かった」

そう言うとゾロは立ち上がり、浜辺に落ちている木の枝を集め始めた。

「もう日が沈むだろ、夜は冷える。そのままでいたら風邪引くぞ」
「そ、そうね。早く火を起こさなくちゃ」

それから二人は黙々と枝を集め、ゾロが起こした火で暖を取った。ゾロが枝を集める間に迷い込んだ森で食べられそうな木の実などを取ってきていたので、夜はそれらを二人で分け合って食べた。
日が暮れる前、遠くに小さく羊の船が見えていた。かなり距離はあったが、この島の方向を向いていた。助けが来るのにそう時間はかからないだろう。

「ゾロ…起きてる?」
「…あぁ」

隣に寝転がったままゾロに話しかける。夜も更けて、焚き火の明かりだけが照らす中、ナミは普段と異なる状況への興奮と、夜の冷え込みで眠れずにいた。

「ねぇ、寒くない?」
「寒いか?ちゃんと乾かしたのかよ?」
「乾かしたけど…寒いもんは寒いのよ。そっち行ってもいい?」
「あぁ?てめ何考えてんだよ」

ゾロが身体を起こしてナミを見る。それに倣ってナミも身体を起こし、ゾロに向き合った。

「何って、あったかくなることを考えてるに決まってるでしょ」
「…テメェはどこまで無防備なんだよ」

ゾロは小さく舌打ちをした。こんな夜に二人きりで、あったかくなることなどと平気で宣う女にイラついた。

「あのなぁ。お前その言葉の意味、わかって言ってんのかよ。俺は男だぞ」
「そんなこと知ってるわよ。それに…そういう意味に取られても良いと思ったから、言ったわ。相手があんたなら」

ゾロは目を見張った。ナミは何を言っているのか。サンジと良い仲なのではなかったのか。

「お前、コックは?」
「サンジくんは、本当に何でもないのよ。サンジくんに聞いたわ。付き合ってるって言われたんでしょ?あんたに…牽制、したかったんだって。……でも私は…」

そう言ってナミはゾロの目を苦しげにじっと見つめた。ナミは本気なのか?突然の告白に戸惑いを隠せなかったが、その目に宿る熱をゾロは見逃さなかった。

ゾロがゆっくりとナミの方に身体を寄せ、その白く細い指に自分のそれを重ねた。きゅっと軽く指を握ると、ナミの方も力を返して来る。視線が絡み合えば、することはひとつだった。

ゾロの薄い唇がナミのぷっくりとした唇に触れた。自然な赤みを帯びた果実のようなナミの唇は、味などしないはずなのに何故か甘く感じた。ナミの体温を感じると、もう止めることは出来なかった。
ゾロはさっきとは打って変わって、食らいつくようにナミの唇を覆った。呼吸をするのもままならないほど、深く、激しく舌を絡め合い、口内を探り合った。互いの唾液で濡れた唇をようやく離すと、ゾロはナミの身体をきつく抱きしめた。

「……ったの」
「ん?」
「すき、だったの。ゾロのこと」
「…いつから?」
「わかんない。気付いたら、あんたのこと考えちゃってた。あんただって私のこと、好きでしょ?」
「お前…」
「…違うの?」

自信に満ちた言葉とは裏腹に、ナミは縋るような目でゾロを見つめていた。

「いや、違わねぇな」

ゾロはその目に吸い寄せられるようにナミに顔を近づけ、もう一度唇を合わせた。今度はゆっくりと味わうように、触れ合いを楽しむように、軽いキスを何度も繰り返した。
よくやく唇が離れると、ゾロはナミの顔を覗き込んだ。

「…あっためてやれば良いのか?」
「……うん」

ナミは消え入りそうな声で返事をした。次の瞬間、ナミの視界は反転し、目の前に一面の星空が広がった。

「今日はしねぇぞ」

ナミの横でナミの身体を包み込むように抱きしめたゾロが言った。

「え、どうして…」
「俺の勝手な欲に任せて、大事な航海士を船から下ろすわけにはいかねぇだろうが。もし出来ちまったら、船の上で産むのか?」
「あっ…」
「今日はこれで我慢しとけ」
「うん。…あんた、意外とちゃんとしてるのね」
「不満か?」
「ううん、ちょっと驚いただけよ。今までそういう男に会ったことがなかったから」

その言葉に、ゾロはナミが今まで経験してきたことの想像以上の壮絶さを垣間見た気がした。俺の知らないところで、こいつはどんな目に遭ってきたのだろう。気にならないわけではなかったが、あえて詮索しようとは思わなかった。これから二人で新しい時間を重ねていけば良い。

「今日は身体に負担かかってんだから、早く寝ろ。寒くねぇようにこうしててやるから」
「うん。ありがと、ゾロ」

抱き合ったまま目を閉じる。ナミはこれまでに感じたことのない、揺るぎない安堵感に浸っていた。それが自分を包み込んでいる男からもたらされるものであると意識する間もなく、深い眠りに落ちていった。

穏やかな寝息を聞きながら、ゾロは腕の中のナミを見つめていた。誰のものにもならない気高い存在だと思っていたナミが、無防備な姿で自分の腕の中にいる。ほんの数時間前までこんな状況になることなど予想もしていなかった。
だがナミは、この手の中に堕ちてきた。手に入れた大切な女をどこにも逃さないようにと、ゾロは女の細い首筋に唇を押し当てて一瞬強く吸い上げた。潮の香りに混ざって、ほのかなみかんの香りが鼻先をかすめた。

翌朝、ナミが目を覚ますと、眠りについた時と同じ形でゾロの逞しい腕の中にすっぽりと収まっていた。少し高めのゾロの体温が冷えた身体に心地よい。筋肉ばかりで硬そうに見えた身体は意外にも弾力があり、触れた肌はさらさらとして気持ちが良かった。こうした小さな知らなかったゾロを、これからどれほど見つけることができるのか、ナミは密かに楽しみに思った。
そうしているうちに、腕の中のナミがモゾモゾと動く気配を感じて、ゾロが目を覚ました。

「ん…朝か?」
「おはよう、ゾロ」
「ナミ…か。おはよう」

ゾロはまだ眠そうな顔でナミをぎゅうぎゅうと抱きしめ、そのオレンジの髪に頬を押し当てた。

「…起きた時、惚れた女が目の前にいるの、いいな」

ゾロは寝起きの覚醒しきらない頭で、思ったまま口にした。思いがけないゾロからの言葉に、ナミはこそばゆい気持ちになる。あのロロノア・ゾロがこんなセリフを言うのか。ナミはまた一つ、ゾロの知らない一面を知ることができたことを嬉しく思った。

身体を起こして海を見ると、メリー号は思いの外この島に近づいてきていた。このまま進めば、今日中には島に着くと思われた。

「思ったより早かったわね、お迎え」
「そうだな。いつまでも遭難してるわけにもいかねぇしな」
「二人でいられる時間もあとちょっとか。少し残念」
「なに言ってんだ。シャワー浴びてぇ温かいメシが食いてぇ騒いでたのはどこのどいつだよ」
「あはは、そうでした。船に戻ったらシャワー浴びよう」

いつもと変わらぬやりとりが二人らしいと、ナミは思った。少しだけ二人の関係に今までと違う色がついたけど、私たちはなにも変わらない。今までよりも少しだけ強い絆で結ばれただけだ。

午後、日が落ちる前にメリー号はゾロとナミの待つ島に到着した。迎えに来たクルーたちは予想以上に元気そうにしている二人を見て、安堵の表情を見せていた。

チョッパーの診察を終えたナミの元に、サンジが駆け寄った。

「ナミさん!大丈夫だった?」
「サンジくん!心配かけたわね。大した怪我もしてないし大丈夫よ」
「そうかい。…あれ、ナミさん首…」
「え?首?なんかなってる?」
「ここが赤く…」

そこまで言ってサンジはその赤い痣の意味を理解した。

「…ナミさん、マリモ野郎と何かあったよね?」
「えっ……そうね、うん。あったわ」
「それってさ、俺は失恋したってことになるんだよな。多分」
「…ごめんなさいサンジくん。やっぱり私、サンジくんの気持ちには答えられない。もっと早くにちゃんとそう伝えるべきだった。本当に、ごめんなさい」

ナミの真剣な眼差しが、彼女の言葉の裏側にある思いの深さを表していた。

「そうかぁー。そうだよなぁ。ナミさん助けに行った時になんとなく分かってたんだけどさ」
「えっ、サンジくんも助けに来てくれたの?」
「そりゃそうだろ!好きな女が海に落ちて平気でいられるわけねぇよ」
「そうだったの…全然知らなかった」
「え、てことはナミさんあの時もう意識なかったの⁉︎」
「ごめん。海に落ちた衝撃で気を失ってたみたいで…」
「そっか…。なら尚更、俺に勝ち目はねぇってことだな。ナミさん、潮の流れの速いところに引きずられて流されちまったんだ。でもその直前にナミさん、あいつに向かって手を伸ばして、その手を掴んだマリモと二人で流されていっちまったんだよ。無意識だったんだろうし、流されててたまたまだったのかも知れねぇけど、手を伸ばされなかった時点で俺はあいつに負けてたんだよな」
「サンジくん…」
「そんな顔しねぇで、ナミさん。俺はまだナミさんが好きだし、特別な女性だと思ってるけど。でも一番に願うのはナミさんの幸せだ」

サンジはナミの手を取り、壊れ物を扱うように、自分の両手で包み込んだ。

「ちゃんと幸せでいてな、ナミさん」

サンジはそう言って、包み込んだナミの手の甲にキスを落とした。

「ありがとう。あんたの女になってあげられなくて、ごめんね」
「はぁ〜悔しいな。ナミさん、マリモが嫌なったらいつでもこの胸に飛び込んできてね!俺いつでも受け止め…」
「遠慮しとくわ!」
「そんな辛辣なナミさんも素敵だぁー!」

満面の笑みで断ったナミにメロリンしているサンジは、いつもと変わらぬ女に弱い優しいコックの顔だった。

その夜、無事に帰ってきた二人を迎え、メリー号では宴が開かれた。皆サンジの料理に舌鼓を打ち、酒を飲んで上機嫌だった。大切なクルーが欠けることなく航海できる喜びを、それぞれに感じていた。
夜も更けて、騒ぎ疲れた者たちは甲板に転がっていびきをかき始め、ロビンは「邪魔はしないわ」とナミに告げて見張り台へ上がっていった。
宴の終わりはいつものように、ゾロとナミが隣り合って酒を酌み交わしていた。今夜はみかん畑に場所を移して。

「あ!ゾロ、ちょっとこれ何のつもりよ?」

思い出したようにそう言ってナミは自分の首筋に手を添えた。あの印を確認したらしい。

「あぁ?そりゃあ…牽制だ」
「…サンジくんに?」
「全員にだ。お前は誰にでも距離が近ぇから、俺のもんだとわからせとかねぇとダメだろ?」
「へぇなんか、意外ね。あんたにも独占欲みたいなのあるんだ」
「手放したくねぇもんにはな。せっかく手に入れたんだ。離してたまるかよ」
「ふーん。ま、安心しなさいよ。離れるつもりなんかないんだから」

ナミは笑いながらそう言って、ゾロの肩に頭をつけた。昨日よりも濃くなったみかんの香りに、ナミを強く感じた。

「なぁナミ」
「なーに?」
「するか」
「…したいの?」
「当たり前だろ」
「ふふっ。私も、したい」

視線が絡んで笑い合いどちらともなく唇を合わせたら、二人の時間に色が付く。

ー終ー

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