あまいいちご

ゾロナミ

 ダイニングに足を踏み入れると、テーブルの上に一粒、真っ赤なイチゴがガラスの器にポツンと乗っていた。かわいそうに。一粒だけ残されて、不安気にこちらを見ている。俺は躊躇なくその一粒に手を伸ばして、イチゴを口の中に放り込んだ。とても甘いイチゴだった。

 鼻に抜けるイチゴの匂いにナミを思い出す。
 それはつい数時間前のこと。ナミはダイニングテーブルの真ん中、ちょうどこの席でイチゴを食べていた。ガラスの器に盛られた赤く艶めく小ぶりな果実を、フォークに刺しては口に運んでもぐもぐとやっていた。ナミの隣の席に腰を下ろすと、イチゴの乗った器が目の前に差し出された。
「ゾロも食べる?」
「いや、いい」
「ビタミンは取れる時に取った方がいいわよ」
「みかんがあるだろ」
「まぁね、そうだけど」
 サクッと小気味良い音を立ててフォークに刺さったイチゴを、目の高さに持ってきてじっと眺める。
「いつもそればっかりじゃ飽きない?」
「みかんのことか?」
「みかんに限らずよ。お酒とか食べるものとか、女、とか?」
 イタズラを仕掛けた子どものような企み顔でこちらを伺う。
「飽きた方がいいのか?」
「飽きたとか言ったらあんたの背中切り刻む」
「それはやめろ」
 笑って器に手を伸ばし、ツヤツヤとしたイチゴを一粒、摘んで口に放り込んだ。噛むとじゅわりと果汁が飛び出して、口いっぱいに青い甘さが広がった。
「うまい」
「そりゃそうよ。サンジくんのお眼鏡にかなったイチゴだもん」
 しばらく眺めていたフォークの先のイチゴをやっと口の中に運んで、やっぱおいし、とナミは呟く。
「イチゴもまぁ悪くねぇが」
 すぐそばにあるナミの頭にぽんと手を置く。
「俺ぁみかんの方が好みだ」
 その言葉にこちらを向いたナミと目が合う。一瞬大きく見開かれた深い色の瞳は、すぐに柔らかく細められた。
「へぇ」
「俺の背中は無傷のままか?」
「今のところは」
「ずっとだろ」
 頭に乗せたままだった手を長い髪に滑らせて、細い肩に腕を回してナミをこちらに引き寄せる。するとナミの腕が首筋に絡んで、俺の胸にぴたりと柔らかな肌が触れる。少し上向いた小さなアゴを指先でつかまえたら、イチゴの色のぷるりと甘い唇が薄く開いて俺を誘った。
 誘われるまま、引き寄せられるように合わせた唇は、甘いイチゴが強く香った。いつものみかんの爽やかさとはまた違う、青くて甘いイチゴの匂い。目を閉じていると不安になって、腕の中の女が本当にナミなのか、確かめたい衝動に駆られる。柔らかく長い髪の手触り。腕に触れる肩の細さ。キスの合間の息遣いや、時折漏れる甘い声。どれも全部、よく知っているナミのものなのに、鼻先をくすぐるイチゴの匂いだけが”いつものナミ”から浮いていて、どこか違う女のように感じさせる。
 いつも同じで飽きないのか、だなんて、馬鹿げた質問だと思う。ちょっと匂いが違うだけでこんなにも動揺して焦りすら感じる。飽きるだなんてとんでもない、どうすれば飽きることができるのか教えて欲しいくらいだ。本気でそう思うほど俺はナミに惚れていた。ナミじゃないなら女は要らない。そんなことを言ったら、ナミは笑うだろうか。
「なぁ」
 唇を離して言葉にするか少し迷って、柄にもないと視線を逸らす。視線の先に飛び込んできた赤い果実を手に取って、ナミの小さな口に突っ込む。
「む?」
 イチゴをくわえたままきょとんとこちらを見るナミがどうにも可愛くて、イチゴごとその唇にかぶりつく。
「ん、むぅ〜」
 一瞬仰け反った身体を背中から支えてもう一度唇を触れ合わせれば、いつものようにキスが始まる。齧り取ったイチゴの半分が口の中で転がって、柔らかく咀嚼するうちに果汁とナミの舌とが俺の舌に絡みつく。甘い。味も匂いも甘すぎて、クラクラとめまいがするようだ。互いの口の中から果肉が消えると、どちらともなくまたイチゴを手に取り、口にくわえてその果実ごと唇を合わせた。口の中に広がるのはイチゴの甘さか、キスの甘さか。ナミと共に味わうのなら、どちらでも構わなかった。互いを行き来するイチゴの果肉と甘い唾液で、口元が汚れていく。時折笑い声を漏らしながら、何度も何度もキスをした。あれほど不安に駆られたイチゴの匂いは、いつしか二人を包み込むように甘くこの場に漂った。
「ふふっ、ベタベタ」
 離れていったナミの唇はツヤツヤと赤く光っている。
「な。甘ぇ」
 指で口元を拭うと、指先にイチゴが香った。
「あー、ねぇあんた服に汁垂れてる。白いシャツだから目立つわね」
「いいよ別に、気にしねぇ」
「ダメよ、子どもじゃないんだから。ちゃんと洗いなさい」
「めんどくせぇ」
「だーめ。早くしないと落ちなくなるわよ?」
 呆れ顔で赤いシミを見つめるナミの胸元に目をやると、その剥き出しの肌の上にこぼれ落ちた果汁が点々と付いている。
「お前も付いてる」
 ちょんとその部分を指で触れると「あっ」と小さく声を上げ、照れたように目を伏せてナミは頬を赤らめた。
「ナミ、洗ってくれよ、これ。俺もお前、洗ってやるから」
 汚れたシャツを摘んでうかがうようにその目を見つめる。深い色の瞳が揺れて、それから小さく笑みが浮かぶ。
「……お風呂、行く?」
 返事もせずにその手を掴んで早足で風呂場へ向かう。すっかり出来上がったこの気持ちを早くその肌にぶつけたくて。
 結局、清めに行ったのか汚しに行ったのかわからないくらい、さんざん汗をかいて体液にまみれて、気持ちの良いセックスをした。全部が終わるとイチゴの匂いは泡と一緒に流れて消えた。ナミが洗った俺のシャツの胸元には、薄紅色の小さなシミが薄く残った。

 空になった器を洗って出ると、入れ違いにコックがキッチンに入ってきた。
「おう、珍しいな。お前がキッチンにいるなんて」
「後片付けにな」
「? ほぉん」
 納得したようなそうでもないような曖昧な相槌をして、コックは自分の城へと入っていった。
 外に出るとほどなくして、キッチンから賑やかな声が聞こえてきた。コックがギャーギャーと騒いでいる。イチゴがどうのと言っているのを聞いて、あぁ、さっきの、と今は腹の中に収まっているあの赤いイチゴが浮かんだ。ガラスの器に、外に干してある白いシャツのシミ。証拠を辿って俺がまた蹴られるのだろうが、それもまぁ悪くない。
 あのイチゴは、甘かった。

コメント

  1. こひま より:

    ナミじゃないなら女は要らない。
    そのひと言にゾロの想いが全て乗っかってる気がしました〜😭✨
    甘いイチャイチャの中に、どことなくビターな大人の味が混ざる、とても味わい深い文章でとっても良かったです〜!!
    言葉の使い方ひとつひとつが、美しくて、感心しきりです…!私もこんな風に書けるようになりたいなあと、目標にさせてもらっています🥰

    • @kame より:

      やーーーんこひまさーーーん😭😭😭❤️
      感想ありがとうございます!!!めっちゃ嬉しいいぃ。すごい褒めてもらってるめっちゃ嬉しいいぃ。
      目標だなんてそんな畏れ多いです。こちらこそですよ!!大好きなこひまさんに素敵な感想寄せていただいて幸せです〜ありがとうございます🥰🥰✨

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